16世紀の天正遣欧少年使節団の一人、千々石(ちぢわ)ミゲル(1569年ごろ〜1633年)の埋葬地について調べている民間チーム「千々石ミゲル墓所調査プロジェクト」(浅田昌彦代表)は23日、長崎県諫早市で発掘調査してきた埋葬施設跡が千々石ミゲル夫妻の墓と確定したと発表した。天正遣欧少年使節団の4人はいずれも埋葬地が分かっておらず、墓が特定されたのは初めて。

 千々石ミゲルは九州のキリシタン大名・大村純忠のおいで、16世紀後半、純忠らがキリスト教布教の支援を得ようと伊東マンショ、中浦ジュリアン、原マルチノと共にローマに派遣した天正遣欧少年使節団の一人。帰国後、禁教令下でイエズス会に入会したが、使節団の4人の中でミゲルだけが脱会し、棄教したと伝えられている。帰国後の後半生には謎が多い。

調査では、1号墓からロザリオが見つかったことや、ミゲルの埋葬方法が仏式ではないとの見方が強まったことから、ミゲルが棄教したとの通説に対する異論も出ていた。

https://mainichi.jp/articles/20220423/k00/00m/040/279000c.amp