酷すぎてわろえない

遺族をさらに絶望の淵へと追い込んだのが、くら寿司の対応だった。

 死から5日が経過した4月6日。くら寿司の幹部社員2人が中村さんの実家を訪れた。応対したのは父と母。姉は「社員たちの言動が不可解だった」と両親から聞かされた、と語る。

「まず『揉め事もなくよく仕事をやっていた』と言われたそうです。そして、弟の人間関係について根掘り葉掘り聞いてきた。『息子さんに恋人や親しい友人はいたか?』と取り調べるようにしつこく問い質されたようです」(同前)

 その日、両親はくら寿司社員の車に乗せられて甲府に向かった。所轄の南甲府警察署で事件に関する説明を聞いたのち、4月9日に中村さんを荼毘に付した。

「母は『社員は2人とも遺骨を拾わなかった』と話していました」(同前)

 火葬の日、両親は社員に連れられて甲府市内にある中村さんの部屋を訪れた。そこでも不可解な行動があったという。

「社員が『会社で必要なので』と弟の部屋にあった“何か”を持ち出したそうなんです。父と母は遺品の整理で手一杯でちゃんと見ていなかった。一体、何を持って行ったのか今も気になっています」(同前)

 翌朝、姉はようやく甲府に到着。両親と合流するため、中村さんのアパートの前で待ち合わせた。

 姉が明かす。

「両親は社員の運転する車に乗って来ました。アパートの前で、社員の一人が弟の遺骨を胸に抱く父に向かって『息子さん、宗教をやっていて、おかしくなったんちゃいますか?』と言いました。怒りで絶句しました。弟の趣味は寺社仏閣巡り。部屋にはお守りやお札、置物があった。社員はそれらを見た上で宗教と言ったのでしょうけれど、息子を喪った親に投げかける言葉でしょうか」

 中村さんのアパートまで両親を連れてきたくら寿司の社員は、「もうこれでお会いすることはありませんね」と言い残し、先に帰っていったという。

 ところが――。

「文春に喋ったら訴えますよ」

「明日、午前10時にご自宅に伺いますから」

 中村さんの両親にくら寿司社員から突然電話がかかってきたのは4月20日夕刻のこと。同日正午、「週刊文春 電子版」が雑誌に先んじて中村さんの自死を報じる記事を配信していた。