>>127
探すのめんどい
日本書紀だと誉田天皇(応神大王(おおきみ))
31年8月条


もともと朝日と言う地域に大規模集落があって、
製鉄をするために討伐に派遣した人間たちの集落が母体。

公害が発生するから鳥取から三重に移動してきた。
物部氏一族の猪名部氏(いなべ)がそのまま地域名に。
いなべは木工系の職人が主体、その中から東大寺お抱えの
きこりである杣人が西へ行ったのが伊賀忍者の母体。

多度神社は製鉄主体で武器製造、別部隊だが似たような目的。