アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 「まだ、お迎えが来てくれないよ」

2022年5月22日、アントニオ猪木は青森県十和田市の蔦温泉にいた。周囲には八甲田の山々がそびえている。
猪木には、やっておかなければならない一つの人生の行事があった。長いこと自宅の仏壇に置かれていた
妻・田鶴子さん(通称ズッコさん)の遺骨を墓に収めることだ。

青森県の山中の静かな温泉地にその墓は作られた。場所を決めたのは猪木だった。
猪木の無類な世界観によって、あえて青森の蔦温泉に行きついたのかと、筆者は驚愕を覚えた。
それは生まれ育った横浜でも、東京でもなく、ブラジルでもパラオでもアラビアの砂漠でもなかった。

「アントニオ猪木家の墓」の全貌とは
新しい「アントニオ猪木家」の墓は蔦温泉の近くに建立された。渓流沿いの小路から少し歩いて
20メートルほど続く不規則な階段を上がると、正面には愛する蔦温泉で56歳の生涯を終えた
明治~大正期の文豪・大町桂月の墓がある。

正面には「道」という大きな文字が見える。その左には縦に「アントニオ猪木家」。
手前の右内側には「道」の詩の全文が刻まれて、左内側の墓誌には「猪木田鶴子」という名前が一つだけある。
その次に刻まれる名前が「アントニオ猪木」なのか「猪木寛至」なのか、筆者は知らない。
本人に聞いてみようかな、とも思ったが、あえて聞かないことにした。

ズッコさんが亡くなったのは2019年8月だったから、もう3年近く前になる。2人はこの温泉が気に入って、
都会の喧騒から遠ざかるように、何度も静かな時をここで過ごしていたという。

今の猪木は多臓器不全を引き起こすアミロイドーシスという深刻な病を抱えている。
「まだ、お迎えが来てくれないよ」とか「もういいじゃないか、猪木」
という古舘伊知郎さん的な言葉を自分に投げかけてもいる。
でも、それは額面通りの言葉ではなくて、逆に「もう少し、生きてやるよ」という意思表示のように筆者には聞こえる。

目の前には、瞳を閉じて悲壮感すら漂わせてリハビリを続ける猪木がいる。体調を示すさまざまな数字とも
戦いながら、積極的にうまいものを食べようとする猪木がいる。

車イスに乗った猪木に「元気ですか」という言葉はもう似合わないのかもしれない。
「どうせ、よくはならないから」と猪木は自虐的な言葉まで発して、ちょっと笑ってみたりもする。
それでいて「もう少し元気になった姿を皆さんに見せないとね」と相変わらずのサービス精神も忘れていない。

かつて猪木は死を語るとき、「足跡を消したい。砂漠の砂の中に消えるのがいいな」と言っていたが、
こうして「アントニオ猪木家」の墓を作ってしまった。それも青森の山中だ。

しかし、猪木家ではなく「アントニオ猪木家」というのが猪木らしいかな、とも思った。お墓が好きな人は
そんなにいないだろうが、ある年齢を迎えると、そういうことを考えるようになるのだろう。
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