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主要メディアはこれらを「差別」として報じるがそうではない。

男女は関心や適性の分布が一致しない。

機会を等しくすると結果は等しくならない。

結果を等しくすると機会不平等とアウトプットの質の低下を招く。

という論理的なもので、実際、男女平等先進国でも関心を持つ分野は男女で大きく異なる。後天的要因を等しくするほど先天的要因の差異が明確になってくる。


いくつかの科学の分野で女性数が少ないことは、両性の間にある生まれつきの才能と興味の差によるものであることを裏づけるエビデンスは強力だ。


この現状において「保育士の半数を男にするために優遇する」や「配管工の半数を女にするために優遇する」が非生産的であるのなら、化学の研究者の半数を女にするために優遇することも非生産的になるはずである。しかし、西洋では中世のキリスト教的なイデオロギーのために、このような正論が許されなくなっている。科学がイデオロギーに従属させられるルイセンコ学説に支配された旧ソ連と似たり寄ったりの状況で、この警告(⇩)の通りになっている。