>>297

この場合の「ホームレス」(たとえの前提として、別の着物は全く手に入らず、何かを着ていないと寒くて苦しい「ぼろきれによって得られる効用が裸の効用と比べて少ない」人間とする)は存在する人間
そんなボロキレを買わない一般人(「別の服」をもつ人間)が非存在ね

で、ホームレス的、すなわち存在するあらゆる人間の立場からいうと
>命の場合、自殺と生存を比べて生存のほうが普通は効用が大きいので普通は命は捨てませんね。
>命を続ける価値は生存による効用で決まり、
まあよいだろう
>かつ命を始めるのは命を続けるためであり、
これは謎
あなたは「命を続けよう」と思って始めたのか?
(ここが自ら買う「服」のたとえとは根本的に違う部分だね。無理やりたとえるならやはり半ば先天的に乞食の子供に与えられたボロキレだ)
>出生は生存のためになされるものです。
出生はされる側が「なした」ものではないよ

だから、あなたが言っているのは
誰も買わない、どころか手にとることも嫌がるような悪臭を放つボロキレを着た乞食の子供が
「(他のものを着ることができる)世間の人間はこんなものを着たくないし、無理やり着せることは非難されるべきだろう」と思っているのに対し、
「ならばお前はなぜそれを着続けるのか?無価値ならお前がそれを脱ぐべきだろう」と言っているのと同じだ

だから、ボロキレは乞食には価値があるが世間の人間には価値が無いのと同じく、
生命は存在にとって価値あるものだが、非存在にとっては価値が無いものなのだよ