ナチス研究者「未だにアイヒマンが『凡庸な悪』だったと思い込んでる人が多い」 [298194473]
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Daisuke Tano
@tanosensei
アーレントの「悪の凡庸さ」を悪の相対化という意図で持ち出す傾向が出てきているのではないかと以前から薄々思っていて、ツイッターでもそう呟いたことがあるが、今回も5人くらいはそういう人を確認したので、かなりその見方を強めている。
@tanosensei
歴史研究者・アーレント研究者の間ではアイヒマンが私たちと変わらない「凡庸」な人間だったという見方はほぼ否定されていると言っていいのだが、一般レベルで「凡庸な役人」というイメージが広まりすぎたことがいろいろな問題を引き起こしている。
https://www.afpbb.com/articles/amp/3391165
kogonil
@kogonil
未だに(あんだけ疑義が出た上に、アイヒマンが糞差別野郎だったってことも暴かれてるのに)ミルグラムの研究に言及して「凡庸な悪」みたいなところでお茶を濁してるのは、もはや悪の構造に加担してるに等しい。
『エルサレム〈以前〉のアイヒマン』
https://i.imgur.com/vgSSLbo.jpg
官僚的に命令に従っただけというアイヒマン像を覆し、むしろ彼が筋金入りの反ユダヤ主義者で、裁判では仮面を被っていたことを明らかにした重要著作
「誰もが実際、自分の立場から見れば正しいのである」(三〇三頁)と、アイヒマンは書く。それぞれの民族ごとに異なる正義と真理が存在する(国民社会主義者には「ドイツ的物理学」と「ユダヤ的物理学」の区別さえ存在したという)。
こうした前提のもとアイヒマンは、「ただ一つの人種だけが生き残る避け難い人種間戦争で最終勝利を収めることが不可欠」(三〇二頁)だと信じていた。
だから「敵の絶滅」は正当化されるのである。一方、普遍的な道徳と哲学はそうした闘争の宿命性を否定するのだから、総じて誤っている。
「あらゆる人間が理解し合える可能性を考えるだけで裏切りなのだから、理性も権利も自由も人間の相互関係を貫くものとして役立ちはしない」(三〇四―五頁)。
普遍性を否定し、あくまで自らの民族の勝利を目指す。それが、「アルゼンチン文書」から見えてきたアイヒマンの思考の本質なのである。
アーレントが見たのはあくまで、モサドによる拘束後、「役の変更」が行なわれてからのアイヒマンにすぎない。
〈エルサレムのアイヒマン〉はこうしたナチとしての自己をたくみに隠し、自己演出を図ったのだ――。
https://dokushojin.com/review.html?id=8308 中途半端に広まった古い認識を否定するのは大変なんだよね
誰もが研究を一定のスパンで追うわけではないから
まあ知ったかぶりで適当なことぶっこいてるやつが悪いんだけど 正直そうやって状況によって手のひらクルクルするのも如何にも小悪党の役人だなと思うけどな
なんかこう人間を一本の論理の筋が通ったものだと考えすぎでは 俺もアーレントは大嫌いだけど
この話題でポイントになるのはアイヒマン自身が凡庸な悪であったのかどうかではなく
当時のナチスドイツ積極加担者全般が凡庸な悪であったかどうかと
そもそも当時のドイツやヨーロッパで反ユダヤ主義自体が凡庸な悪であったかどうかだろ
アイヒマン自体が凡庸な悪ではなかったとしてもナチスドイツ全体の擁護にも批判にも繋がらないし
反ユダヤ主義自体が当時の凡庸な悪であったならアイヒマンが熱狂的な反ユダヤ主義者だったとしても凡庸な悪の域は外れないよね いつまでWWIIの話してんの?
坂本龍馬を熱く語るおじいちゃんみたい >>11
これはホントそう思う
今いる日本の「凡庸な役人」の中にも、立場が許せばヤベー思想全開になる奴なんて腐るほど居る 今日は、アドルフ・アイヒマンが逮捕された日なんですよ(暗黒微笑 凡庸さこそが底知れぬ悪を生み出す、
って文脈だと思ったが
責任を希釈する方向で解釈する奴がいるのか ナチは上の命令に従っただけと言い訳した。トップのヒトラーは自殺して責任を取った
帝国軍人も同じ言い訳をした。ただしトップは退位すらしなかった。誰も責任を取らない >>24
誰の心の中にでもアイヒマンはいるんだよなみんな同じ同じ
みたいな感じで批判が封殺されてるような ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています