デビューから20周年も変わらぬ笑顔と魅力を放つしょこたん。ターニングポイントになったのはブログを始めたこと。「しょこたん☆ぶろぐ」は2004年11月に開設。今では芸能人ブログは当たり前だが、当時はあまりやっている人は少なかった。

「ブログという言葉も一般的ではなかったので、事務所には『写メ日記やりたいんですけども』って。事務所はすぐに『いいよ』。守られている女優さんだったら、『危ないから』と止められたと思うんですけどね(笑)。逆に感謝しています。私自身は学校でもうまくやれなかった。本当はアニメが好きだった、ゲーム好きだった、漫画好きだったけど、言えなかった。ブログでそんなことを書いたら、『私も、です』という人がたくさん見てくれた。しかも女子が多くて、むちゃくちゃうれしかった。やっと息が吸えたな、と思いました」

 ブログでは、自身の好きなこと、やってみたいことを素直に書き連ね、それが共感を呼んだ。「純粋にこれが好き、あれが好きって、いままで言えなかったことを全部書いたら、言霊(ことだま)が電子の海を飛んで行き、夢として全部かなった」。

 ブログ開設の2年後の2006年には歌手デビューし、第3弾シングル「空色デイズ」はテレビ東京系アニメ「天元突破グレンラガン」のテーマソングにもなった。

「憧れていたアニソンを歌える人になれた。歌があったから、20年続けられたと思うんです。『バラエティーだけだったら、3年で消える』って言われたけど、自分でも『そう思う。でも、悔しいな』という思いが原動力になって、色々なことに全力を注いできました。その結果、海外でライブができたり、ポケモンやディズニーの声優も務めることができました」。

 テレビ東京で放送されているポケモン番組に16年間も出演し続けている。「最初は戦隊もののヒーローになりたかったんです。オーディションを受けまくったのに、落ちてしまって、その翌年に裏で放送しているポケモン番組への出演が決まりました。最近、20代後半の方からは『ちっちゃい頃からポケモンの番組で見ていました』ってめちゃめちゃ言ってもらえます。子どもの頃に出会った好きなことが一番の原動力だと思ってから、それが子どもたちの一部になればいいと思っていたけど、届いているか分からないままやっていたので、『本当に届いていたんだ』と感動することが多いんです」。

 当時、暗いイメージだった「オタク」という言葉をポジティブに変換したのは、しょこたんだろう。「(サブカルの中心地)中野ブロードウェイの近くに生まれて、助けられたから、リスペクトしかなかったんですね。『ファンロード』という雑誌があって、そこには、めちゃくちゃ開き直った硬派なオタクの人がイラストを載せていた。オタクって、褒め言葉だし、硬派だ、と思っていた」。

 中には心無いバッシングもあった。「半年ぐらい叩かれ続けて、本当にやめたいなってなったことはあります。そんな時、お尻の骨を折ってしまって、これって、『もうやめろ』ってことかなって思ったり。でも、見てくれる人がいる、仕事のオファーをくださる方がいる。分かってくれる人はいるんだと思うと、傷ついた以上に、生きててよかったと思うことができました。YouTubeもやっていなかったら、コロナ禍で消えていたと思うんです」。
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