中々の胸糞

当初、長野県警察は、サリン被害者でもある第一通報者の河野義行を重要参考人とし、
6月28日に家宅捜索を行い薬品類など二十数点を押収。その後も連日にわたる取り調べを行った。
この際当時松本簡易裁判所所属であった判事松丸伸一郎が捜索令状を発行しているが、本来過失罪で請求するところを、手違いにより殺人未遂罪として発行していた。

長野県警察は河野宅から、それまでに押収した農薬からはサリン合成が不可能であることから、
一部の農薬を家族が隠匿したとして執拗に捜査を続け、捜査方針の転換が遅れることとなった。
長野県警は事件発生直後「不審なトラック」の目撃情報を黙殺した。また、事件発生直後、捜査員の一人の「裁判所官舎を狙ったものでは?」との推測も、聞き入れられなかった。

マスコミは、一部の専門家が「農薬からサリンを合成することなど不可能」と指摘していたにもかかわらず、
オウム真理教が真犯人であると判明するまでの半年以上もの間、警察発表を無批判に報じたり、
河野が救急隊員に「除草剤をつくろうとして調合に失敗して煙を出した」と話したとする警察からのリークに基づく虚偽の情報を流すなど、
あたかも河野が真犯人であるかのように印象付ける報道を続けた。実際は、事件発生当日の1994年6月27日に、河野が薬品を調合した事実はなかった。