お話が終わると、次に出てきたのがロシア連邦国際交流庁駐日代表部長の肩書を持つ方でした。
日本とロシアで2つの博士号を持ち、ヤポニスト(日本学者)を自称して、まあまあ上手い日本語を話すこの男性は、普段からやや自意識、自信過剰なところがあり、日露交流をしている日本人の間でもあまり評判がよくありませんでした。

質疑の時間に入ったとたんに、したり顔で、ドネツクで撮影されたという5枚ほどの写真をクリップで止めて聴講者に配り始めました。そして一言「ドネツクでは今ロシア語系住民のジェノサイドが起こっており、また全域が火の海で第2次世界大戦以後最大の人道危機が起こる」と言いました。さすがにこれはないなと思ったのと、またドネツク州の広さを知っているのかと思い「戦闘自体は点と線で起こっており、さすがに全体が火の海はない」と言ったところ、気色ばんでロシア語交じりで反論してきました。

そこで「あなた、ドネツクに何回行ったことがある? 私はこの5年で15回以上訪問したが」と言ったところ、当然、彼は一度も行ったことがなかったのでしょう、押し黙ってしまいました。会合が終わって、スポーツマンシップにのっとってノーサイドで仲直りでもしておくかと名刺を持って行ったところ、受け取りを拒まれ、両手を挙げて肩をすくめながら足早に去っていきました。

ただ、今考えてみると、ロシア側は、このころから「東ウクライナでロシア系住民のジェノサイドが起こっている」と日本でも繰り返し主張していました。今回の戦争の情報戦の下準備はかなり早い段階で行われていたのです。

マイダン革命からしばらくして、あるロシアの外交官の講演会が大阪で開かれて僕もどんな主張をするか興味があり聴講しました。彼は日本語が上手く、頭脳明晰めいせきで、僕のゼミで非常にわかりやすい講義をし、学生からも好評でした。

しかし、この日は100%ロシア政府のプロパガンダを話そうとするものの、良識ある彼はどうしてもそれをうまく話せない様子で、外交官という職業の悲哀を感じました。

講演終了直後、僕を見つけた彼が小走りでやってきて、「ちょっと話がある」と声をかけられました。別室に移って2人きりになると彼は言いました。

「今回の件で、〈ウクライナ〉という国とウクライナ人について、わかったつもりでいただけで、本当はよくわかっていなかったことを思い知った。ロシアの外交官も同じで、しかもまだ気づいていない者も多い。ついては、ウクライナに詳しい貴方に、ロシア語で、我々の外交官向けにレクチャーしてもらえないだろうか」
以下略
https://president.jp/articles/-/59123?page=2