7月4日「アメリカ独立記念日」、その歴史と意味をおさらい

アメリカの7月4日、つまり「独立記念日」といえば、星条旗に使われる赤と白と青の3色で国中が彩られ、各地で花火が打ち上げられ、家族で集まりバーベキューなどを楽しむ日。

ただ、この日にまつわる歴史と意味を詳しく知っている人はどのくらいいるだろうか?

何かを学び、認識することは、私たちに過去の過ちが繰り返されていないかどうか見極める力を与えてくれるものであり、社会の進歩に欠かせない重要なこと。

そこで、アメリカでは小学校の教科書にも掲載されているこの国の歴史的な出来事“アメリカの独立”について、振り返ってみたい。

独立宣言が採択された日が由来
アメリカに13あったイギリスの植民地は、1774年、それぞれの代表者による「大陸会議」を組織。1776年6月に開催された会議に、バージニアの代表だったリチャード・ヘンリー・リーが、「独立の決議」を提案した。

そして、それに基づき作成された「独立宣言」の草案が、7月2日にフィラデルフィアで開かれた会議に提出され、同月4日に採択された(ただ、この宣言に代表者全員が署名した時期については、歴史家たちの間でも長年意見が分かれており、同年の8月2日だったとの見方もある)。

1775年4月に革命戦争(アメリカ独立戦争)が起きるまで、イギリスからの完全な独立を望んでいた植民地は、ほとんどなかったという。それにもかかわらず、13の植民地が独立を目指すことになったのは、なぜだったのだろう。

独立を望んだのはなぜ?
アメリカに最初に植民地が作られたのは、1607年。バージニアのジェームズタウンだった。それに続いて作られた12の植民地を含め、これらはいずれもイギリスの一部として、政府から税金を徴収されていた。

イギリスは、植民地の人々が日常的に購入する品々にも課税していた。さらに、たとえば紅茶などの税率を、次第に引き上げていった。

特に不当な課税の例としては、1765年制定の「印紙法」が挙げられる(イギリス国内ではなく、アメリカの植民地で作成される公文書や証書、新聞、パンフレットなどに課税することが定められた)。

また、当時イギリス議会の議員は英国内に住む人々によって選出されており、政府の政策に植民地の人々のニーズは反映されていなかった。有名な「代表なくして課税なし(=議会に代表者を送れない植民地の人々に対し、一方的に課税するのは不当だ)」という言葉は、こうした状況から生まれている。

こうして植民地と本国イギリスとの間の緊張が高まり、それが「アメリカ独立戦争」として知られる戦争のきっかけとなった。

https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a40481428/4thofjuly-history-meaning-220704-hns/