>>643
藤原時平は当時の天皇、醍醐天皇に「菅原道真は天皇を廃帝させるために陰謀を企てている」と伝え、菅原道真は無実の罪を着せられることに。その後、時平の言葉を信じた醍醐天皇により、菅原道真は左遷され大宰府に送られてしまいます。
その後の弁明などは一切聞き入れられることなく、囚人同様の扱いで太宰府に幽閉された菅原道真は、失意のうちにわずか2年で非業の死を遂げました。
その後は菅原道真に代わって権力を握った藤原時平の覇権が続くと思われましたが、藤原時平は39歳で突如亡くなってしまいます。さらにその後、宮廷内で落雷が発生して複数の貴族が命を落とし、やがては菅原道真を左遷した醍醐天皇とその皇太子までもが病で立て続けに亡くなってしまいました。
これらの一連の出来事は、菅原道真の怨霊による祟りであると恐れられ、死後にも関わらず太政大臣や左大臣の位を与えて怒りを収めようとしました。しかしそれでも災いが止まることはなかったため、最終的には菅原道真の魂を神として祀るべく、北野天満宮が建立されることとなります。