合理的である科学は目的へたどり着くための道具としては非常に有用だと思う
しかし論理的な正解が見出せない以上は目的を決めるのには不向きな気がする

歪みや偏りのような不合理であっても皆で信仰すれば目的としての体裁は整う
しかし神だ奇跡だというような非論理的な思考では道筋を正すことは出来ない

例えるなら登山みたいなものだろうか
山に登ろうとすることは非合理だけれど、合理的でなければ登ることは出来ない
非合理を信仰で取り繕い、それを科学で達成することが知的生命体の活動なのでは
つまり科学も宗教もバランスよく混在してる状態が良いのではないかなと思う