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副島と元営業局長井上博明は連名で
『文藝春秋』 1984年7月号に「これが『統一教会』の秘部だ―世界日報事件で『追放』された側の告発」
という18頁に渡る手記を発表した[3]。この手記は、

統一教会は、韓国で生まれ、韓国人を教祖とする宗教であることは、いうまでもない。
そのために、信仰儀礼などに、
いくばくかの韓国習俗的な要素があることは仕方がないとしても、
問題はただそれだけでなく、
「韓民族」が選民であり、他民族に優越していると説くことである。


という文章で始まる[3]。
以下に続く文章で副島らは、
世界日報の編集方針をめぐる編集部と教団の対立、社屋占拠事件の詳細を述べた他に、
統一教会/統一協会の思想が韓国中心主義であること、
教団の教義に関する問題点、
霊感商法のマニュアルや資金の流れ、霊感商法の不法行為の実態などを暴露した[3]。

上述の告発手記を載せた『文藝春秋』は6月10日頃には全国の店舗に並んだが、
その直前の1984年6月2日夜、副島は帰宅途中、
東京都世田谷区にあった自宅マンション近くの路上で何者かに襲撃され、全身をメッタ刺しにされ瀕死の重傷を負った[4]。マンションの入り口付近で待ち伏せしていた男がいきなり「この野郎」と叫んで刃物のようなもので切りつけ、数回副島を殴ったあと走って逃走した[5]。

副島は背中、左側頭部、左腕に切り傷を受け、背中から左胸部に達した傷は深さ15センチメートルに達し、心臓からわずかに2センチメートルしか外れていなかった[6]。



その後、体力が回復した副島はかつての同僚・部下たちと共に『インフォメーション』という情報誌を立ち上げ、
統一教会、勝共連合を糾弾する論陣を張り続けた[7]。

一方、大手マスコミは事件の続報をほとんど書かなかった[7]。副島はマスコミのこの態度に失望したという[7]。

1984年副島は自ら発行する8月1日付けの「インフォメーション」で、犯人は「勝共連合の空手使い」だと思うと書いた。

副島らは、この襲撃事件前後の統一教会との確執に関して原稿を書き『週刊文春』に持ち込んだが採用されなかった[8]。また、マスコミも襲撃事件を言論事件として取り上げようとするところはなかった[8]。副