安倍晋三氏の葬儀、号泣して頬ずりした昭恵夫人 「泥酔した妻をおんぶ」夫婦円満35年の秘訣

 7月12日午後、安倍晋三元首相(享年67)の葬儀が営まれた。喪主をつとめた安倍昭恵夫人(60)は、「あまりに突然の出来事で、まだ夢の中にいるようです。あの日は朝食を一緒に食べてお見送りした」「奈良の病院に駆けつけたとき、夫の手を握ると握り返してくれたような気がした」と涙ながらに挨拶した。参列者が花を手向ける際、昭恵夫人は夫のなきがらに頬ずりしていたという。


 ふたりは1987年6月に結婚。昭恵夫人は勤め先の上司から安倍氏を紹介され、見合いには乗り気ではなかったものの「食事くらいしませんか」と勧められるままに承諾した。しかし店に行く途中で迷ってしまい、初めての待ち合わせに30分以上遅刻したというのは有名なエピソードだ。

「昭恵夫人は『主人はニコニコ待ってくれていて良い人だった』と振り返っていますが、さすがに安倍さんは遅刻に内心モヤッとしていたそうです(笑)。ですが話してみると意気投合し、すっかり昭恵夫人にぞっこんに。当時は職場に迎えに行くなどべた惚れで、約2年半の交際を経てゴールインしました」(永田町関係者)

 安倍氏にとって、昭恵夫人は恋女房だ。子宝に恵まれずに悩む妻を優しくフォローした。そして、2006年9月に安倍氏が第90代内閣総理大臣に就任。しかし体調不良により、約1年で退任することになった。夫の苦しい時期を今度は昭恵夫人が支えた。

「退任後、安倍さんは入院生活を送り、退院してからも自宅療養をしていました。2か月ほどは外出もほとんどせず、夫婦ふたりで過ごしていたそうです。持病の潰瘍性大腸炎が悪化しておむつが欠かせない時期は、昭恵夫人がおむつを替えていました。朗らかな笑顔で世話をしてくれた妻に対して、安倍さんは深く感謝していました」(前出・永田町関係者)

 2012年12月に総理大臣に復帰した際、その背中を押したのも昭恵夫人だった。夫妻と親交のあった社会学者の古市憲寿氏(37)は、7月9日放送の『中居正広のキャスターな会』(テレビ朝日)で「2回目の総裁選に出るとき、周りから『総理を一度経験した人がダメだったらどうするの?』と言われて、晋三さんはすごく迷っていた。昭恵さんの『あなたがどう見られるかではなく、日本のためになると思うなら出てもいいんじゃないの?』という言葉が後押しになった」と明かした。

「奥さんは強いですか?」の問いに

 憲政史上最長となる通算3188日間もの期間、国のトップに立った安倍氏だが、家庭内でのパワーバランスは天真爛漫な昭恵夫人のほうに傾いていた。政治部記者はこう語る。

「安倍さんは過去にネット番組に出演したとき、『奥さんが強いですか?』と夫婦関係について聞かれて、『そりゃそうですね』と即答していました。なにせ昭恵夫人はエネルギッシュな人で、夜な夜な会食などに出歩いているので、安倍さんのほうが帰宅が早いことも多い(笑)。そのぶんゴミ出しや片付けをすることもありましたし、なんと酔いつぶれた昭恵夫人を安倍さんがおぶって帰ったこともあります。

 たとえ自宅にいるときも昭恵さんは友人とフラダンスの練習をしていたりするので、安倍さんは『疲れているのに帰ってフラを見せられる』と冗談めかして言っていました」

 昭恵夫人は、政治に対する自分の考え方を積極的に発信してきた。これまで日本のファーストレディーにはいなかったタイプである。「アッキー」の愛称で親しまれる一方で、批判の声も多く寄せられたこともあった。そんなとき安倍元首相が妻を励ますことも。

「かつて昭恵夫人を批判する記事が載ったとき、安倍さんは『自分はわかっているから気にすることないよ』と彼女に声をかけたそうです。森友学園問題の最中、安倍さんに対して『離婚は考えないのか』という声もありました。さすがに当時は夫婦仲もギクシャクしたようですが、ふたりが別れることはありませんでした」(前出・政治部記者)

 2013年11月21日、“いい夫婦の日”の前日に安倍元首相は夫婦関係について、Facebookにこうつづっていた。

〈明日、11月22日は、「いい夫婦の日」。「家庭の幸福は、妻への降伏。」これが我が家の夫婦円満の秘訣です〉

 安倍元首相の政界引退後は、夫婦でのんびりゴルフなどを楽しむビジョンもあったという。夫が凶弾に斃れ、その夢は叶わないものとなった──。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a2e353e27e9efed3c0e403cc25a6a506ca6f84c6