>>142
理系≒演繹的≒ソルジャー
文系≒帰納的≒軍師
http://i.imgur.com/t6OtSy2.jpg

文系なんか要らない?
https://www.tokyo-np.co.jp/article/3054

文系、特に人文社会学系の研究者たちが危機感を募らせている。
文部科学省が国立大に同系学部の廃止や転換などの改革に努めるよう求めてから五年。
今、大学はどうなっているのか、どこへ向かうべきか。

リーダーは「帰納的」に考える
https://fitbiz01.exblog.jp/28426512/
https://pds.exblog.jp/pds/1/201807/06/93/b0113993_08025397.jpg

リーダーとは自分で決定する人で、フォロワーとは決定に従う人です。
この資料でよくわかると思うのですが、帰納的思考は「現実」に基づき、「演繹的思考」は「理論」や「前提」に基づきます。

つまり、「演繹的思考」の人というのは「これはこうですよ」「絶対に間違っていませんよ」という「理論」や「前提」が強力であるほど、行動しやすくなるわけです。
逆から言えば、「理論や前提がないと行動できない、何をすればいいのかわからない」ということです。

もちろん、「演繹的思考」が不要なわけではありません。
リーダーとフォロワーという視点で考えたときに、こういう傾向にあるということです。
ちなみに私は「演繹的思考」を使うことがほとんどありません。
理由は「確実性が低い」と感じるのと、何よりも「最初の前提(理論)」が正しくない場合、思考がどんどん間違った方向で強化されるからです。

身近でわかりやすいのが「白米議論」です。
肯定派と否定派が論争をしていますが、これは「白米はカラダにいい」「白米は身体に悪い」というガチガチの「前提」から議論がスタートしているから、「ああでもないこうでもない」となるのです。
帰納的に考えれば、「いいこともあるし、悪いこともある。わかっていないこともある。それをトータルで考えれば、おそらくこうだろう」となります。

私が重視する「メタ分析」も帰納的な考え方です。
つまり、「数多くの現実」を知っている人ほど「より正しい判断」ができることになります。
「この理論にはエビデンスがあります」なんて言っているのが、もっとも視野が狭い考え方です。