弱者男性問題って正確に言えば"敗者"男性問題なんだよね
そしてそれは自由競争においては敗者が必ずうまれるという絶対的命題との対峙
左派の論理においても競争の敗者を救う手立ては果たしてあるだろうか
ただ幾らでも再挑戦をする権利は与えられていますよと
機会の平等を説くにとどまっているのではないか
非常に難しい問題だよね