7月下旬、来日した韓国の朴振(パク・チン)外交部長官と林芳正外相による日韓外相会談が行われ、日韓関係の懸案とされる「元徴用工」をめぐる問題について話し合われた。「進展はなかった」との報道が目立つなか、韓国政府側は、会談後の記者ブリーフィングで「長官が何度も“日本企業の資産売却のような『現金化』が行われる前に解決策を探りたい”と強調した」と説明している。

 日本企業の資産売却は、2018年の韓国大法院(最高裁)判決に基づき韓国国内で進められている。判決後、戦時中に徴用工がいた日本企業に賠償が命じられ、該当する日本企業の資産が差し押さえられた。その後、賠償のためそれらの資産の売却が行われようとしており、この夏にも「現金化」の手続きが終わると報じられている。

 一方、韓国では現在、過去の虐殺事件をめぐり韓国政府に“賠償”を求める別の裁判が進行中だ。争われているのは、ベトナム戦争中の1960年代後半頃、参戦した韓国軍が南ベトナム(当時)の各地で起こした「民間人殺害事件」の被害者による損害賠償の訴え。これまでに行われた研究者やジャーナリストの調査により、そうした事件は南ベトナムの80か所余りで起き、9000人以上が犠牲になったと推計されている。

 この問題について、ベトナムと韓国で10年以上にわたり取材を続けるフォトジャーナリストの村山康文氏が言う。

「韓国での裁判は、ベトナム中部のフォンニ村で事件に遭遇したグエン・ティ・タンさんが原告となり、2020年4月、韓国政府を相手取って起こしたものです。『民間人虐殺に責任がある大韓民国政府は3000万ウォン(約307万円)を賠償せよ』と、ソウル中央地裁に提訴しました。ベトナム人被害者による韓国での国家賠償訴訟はこれが初めてです。

 提訴後、ベトナムのタンさんに電話で話を聞くと、『韓国政府や事件を否定する兵士らに、ただ事実を認めて欲しいだけ』と裁判を起こした理由を明かしてくれました。タンさんが言うように、これまで韓国政府は公式に事件を認め謝罪したことはなく、韓国軍元兵士のなかには、ベトナム人被害者らの訴えを否定するために強硬な手段をとる人々もいるほどです。

 ベトナム戦争当時、現地で何が起きたのか。私はコロナ禍で取材が中断するまでの13年間、ベトナムと韓国に20数回ほど足を運び、30人以上の証言を集めて真相を探ってきました。その成果は8月発売の拙著『韓国軍はベトナムで何をしたか』にまとめています。実は、発生現場となったベトナム中部の村々には被害を伝える慰霊碑がいくつも残され、生き延びた被害者たちは、戦争や事件により負った心身の傷を抱えながら今も暮らしているのです」

 生き延びた被害者の多くは「思い出したくない」と口を揃えたという。一方、村山氏が現地で証言を聞くことができた被害者のなかには、韓国社会にアクションを起こした人物が先述のタンさん以外にもいた。

「1966年2月から3月にかけて、ベトナム中部のビンディン省タイヴィン社(ベトナム戦争当時はビンアン社)で1200人以上の住民が韓国軍部隊に殺害される事件が起きました。2014年2月、私は今も現地に暮らす事件の生存者グエン・タン・ランさんに話を聞くことができました。

 事件当時15歳のランさんは、母親と妹を含む村人数十人が犠牲になった韓国軍の虐殺行為を生き延びた人です。ランさんも負傷しており、両足には手榴弾の破片がまだ残っていました。ランさんは『私の目に焼きついたあの惨劇は、忘れようにも忘れられない』と涙ながらに語っていました」(村山氏)
韓国で浴びせられた暴言

 村山氏が証言を聞いた翌年(2015年)、ランさんはベトナム人被害者らを支援する韓国NGOの招きにより、タンさんらと韓国を訪問。事件について韓国国民に向けて証言することになった。しかし、韓国でランさん、タンさんらを待っていたのは、“否定派”による手荒い仕打ちだった。

「3人の訪韓を報じたいくつかのインターネット新聞によると、訪れた先々で元兵士らが反対集会を開いたそうです。平和博物館で予定されていた、事件を伝える写真展のオープニング・レセプションは、退役軍人300人以上が会場を取り囲み集会を開いたことで中止に追い込まれました。

 私は、韓国訪問を終え、ベトナムに帰国したランさんを訪ねて話を聞きました。ランさんは訪韓したことを後悔している様子でした。韓国に滞在中、ランさんらが訪れたほぼすべての場所で、集まった軍服姿の元軍人から『嘘つき』『ベトコン(戦争当時、米韓軍と敵対したゲリラ勢力)』などと罵詈雑言を浴びせられたというのです。

(後略)

https://news.yahoo.co.jp/articles/703122b8cfdc56985af0e2dd9416089c448017ca