>>3
 こうした「謝罪」と「補償」要求デモは、別にとりたてて日本だけにしているわけでなく、国内的にも活発にやっているのだ。

 また、2022年初頭の韓国大統領選挙でも、与野党候補共に家族のスキャンダルなどで国民に何度も「謝罪」を求められており、「謝罪選挙」だと揶揄されていた。そして候補者同士でお互い、「あなたこそ謝罪する必要がある!」とやりあっていたのだ。

 このように、韓国では相手が国内だろうが国外だろうが、「反省」と「謝罪」を引き出して、「道徳的優位性」を確認したい人が多い。

 だからこそ、単に謝罪を求めるだけでなく、「いったい何に対して謝っていて、反省しているのか」を細かく具体的に追及してくる。

 また謝っても、「チンジョンソンインヌンサジェ(真の感情がこもった謝罪)」「ソンイ(誠意)あるサジェ」であることが求められるので、「形式的な謝罪」は逆に怒りに火をつけるのである。

 ここに、謝っているのか、謝っていないのか、何に対して謝っているのかを曖昧にして、「なんとでも解釈できる玉虫色の決着を狙う」ことが一般的な日本とは、大きな違いがあるのだ。

 これまで述べてきたように、朝鮮半島の伝統的儒教文化では「道徳的正しさ」にこだわる。そして「本来あるべき論」を求め、過去にさかのぼって「歴史をあるべきものに戻す」という傾向が極めて強い。

 ただ念のため再度強調するが、現代の個人レベルではまったくそうではない人もたくさんいる。儒教嫌いを公言している韓国人の若者も少なくない。

 しかし政治といった比較的高齢世代が多く、「民族的記憶」や「民族的アイデンティティー」で集団意思決定がされる場になると、この儒教文化がいまだに色濃く影響するのである。

■「真相究明の国」vs.「水に流す国」が争うと…

 この「過去にさかのぼったしつこさ」は、ひとえにその「先祖の魂は不滅」という儒教的死生観も一因であるように思われる。

 実際のところ韓国では、下手したら死後も責任を問う傾向が強い。たとえば韓国ドラマでも日常生活でも「最後まで責任を問う」という言葉が頻繁に出てくる。現代の政治家でも、相手方に対し「墓を掘り起こして処罰」みたいな言葉を使ったりもする。

 日本のような「武士の情け」はなく、責任追及はちょっとやそっと、死んだくらいでは終わらない。儒教の世界では、「死後もその魂はこの世に長らく存在しつづける」と考えられていた。