このところ、固定電話器にかかってくる電話など碌でもないものばかりだ。実際、ついさきほど、拙宅の前の通りをどうやら警察の車輛が通っていたようで、今日はこの界隈に振り込め詐欺の電話が多くかかっているので、不審な者を見かけたらご一報願いたいとスピーカーで述べたてている。そのとたん、いきなり固定電話のベルが鳴るので息を殺して受話器を取り上げると、それはほかでもない、旧知の映画作家からだった。わたくしのスマホにかけてくれたが、なかなか出ないのでつい固定電話にしてしまったとのこと。だが、すぐには名前が確認できず、失礼な対応をしてしまったかもしれない。事情を説明すると、相手も笑っておられた。
 もっとも、これには前史ともいうべきものがあった。あるとき、世田谷区の職員を名乗る男からいきなり固定電話に連絡があり、かなりの額の還付金があるので、後ほど銀行の者が改めて電話するという。その種のケースは、封書でその詳細が送られてくるのが普通だし、銀行がそれに関与することなどまずありえないので、これは詐欺だと即座に察しをつけたが、還付金は大変嬉しいことなので、ご連絡をお待ちしますといって電話を切った。銀行のわたくしの担当者は女性であり、その名も知っていたが、その後かかってきた電話の主は男性で、わざわざキャッシュカードの番号を訊いたりするので、ではわたくしの担当者にこの電話を繋いで下さいというと、自分は外回りなのでそれは無理だという。
 そこで、それがご無理だというのは、貴方が銀行とは無縁のお方だからでしょうとことさら丁寧にいうと、自分は断乎として銀行の者だから、これからお宅に伺ってもよいかという。では、警察の方と一緒にお待ちしていますから早めにどうぞというと、いきなり相手は無言となる。しかも、この期に及んでなおも電話を切らずにいるので、「バーカ!」といってこちらから電話を切ってやった。その後、念のため、銀行口座の一時的な凍結といった手続きをとるなど多少の面倒はあったものの、見えない相手を久方ぶりに「バーカ!」と罵倒したときの爽快感はいまも忘れられない。すでに悪事が露見しているのに、銀行員だと執拗に名乗り続けるなど、文字通り馬鹿としかいいようがなかった。


「バーカ!」といっておけばすむ事態が、あまりに多すぎはしまいか|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま
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