「なぜ死なずに逃げたのか」ラバウルで生還した水木しげるさんに上官は言った【終戦の日】


起床直前、熟睡中の攻撃だったから、ひとたまりもない。ちょびひげを生やした分隊長と同年兵が兵舎からふらふらと出て来て、どさっと地面に倒れ込んだ。辺りにはたちまち硝煙と血のにおいが立ちこめた。とたんに心臓がぎゅっと縮んだように感じ、視界がぐらぐらと揺れた。気が付くと、海沿いを猛然と逃げていた。

水木さんは、サンゴが群生する海岸線を逃げた。軍靴の底はなくなり、足の裏から血が出ていた。海を泳ぎ、ジャングルを駆け抜け、現地人の集落をびくびくしながら通りすぎた。川で水をすすり、やせたエビを食べる程度で、ほぼ飲まず食わずの逃避行だった。銃も軍服もなくし、ふんどし姿で5日後にズンゲンの陣地にたどり着いた。

しかし、水木さんを待っていたのは、上官の冷たい言葉だった。再び「水木サンの幸福論」から引こう。 -------

「なぜ、死なずに逃げたのか」。これが第一声だった。不機嫌きわまりない表情、硬い声だった。「ご苦労」の言葉も、戦況に関するご下問もまったくなかった。何も言えずに呆然としたまま突っ立っていると、中隊長は「死に場所は見つけてやるぞ」と言ったまま、それきりむっつりと黙り込んだ。 -------


戦死で部隊が全滅することを「玉砕」と呼んで美化していた日本軍では、一人だけ生き残ることは「恥」だったのだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/eb682ea625880e08fc78854c1af0406eecad6248