決定的な対立となったのは、2014年の内閣改造だ。

2014年の内閣改造
翌年の国会で、集団的自衛権の限定的な行使を可能にするための安全保障法制の整備を目指していた安倍は、石破に担当大臣の就任を要請。
しかし、憲法と集団的自衛権の関係をめぐり、方向性が違うと考えていた。
「総理執務室で安倍さんと私と1対1だった。『大臣を受けろ』『受けない』という押し問答があってね。『閣内不一致になるから担当大臣は受けられません』って言ったら、安倍さんの激怒が頂点に達するわけね。『そんなんだったら、あなたが総理になったらやればいい』と。捨てゼリフだったね」

石破は結局、地方創生担当大臣に就任するが、2016年に閣外に去り、「ポスト安倍」を目指す活動を進める。
そして、2018年の総裁選挙で、安倍と一騎打ちで争った末、敗れた。