「今思えば、あの頃は人生舐めていました。不勉強極まりなかったですね」

 こう“反省の弁”を述べるのは百男氏だ。逮捕当時に比べ、幾分スリムになり、鬢には白いものが混じり始めている。もっとも、その髪はソフトなオールバック。事件当時、「カツラだ」と書き立てられた髪型とはずいぶん変わっているが、本人に尋ねると、

「ええ、確かに当時はカツラでしたよ。僕は円形脱毛症だった。でも刑務所に入ったら、自然に髪が生えてきてこうなったんですよ」

 と笑うから、時の流れと生命の不思議さを感じるのである。

 事件の発端は1992年。

 社会保険労務士だった達夫氏は、主宰していた「オレンジ共済」で定期預金の募集を開始。本人が95年に参議院議員に当選したこともあって、その信用力と年利7%前後という高利率に2500人が殺到し、約90億円を集めた。

 しかし、既に時代はバプル崩壊後。そんな利率の運用が成り立つはずもなく、経営は破綻。97年、達夫氏や、共済組合の専務理事だった百男氏らが詐欺容疑で逮捕されたのである。

 注目されたのは、その金の行方だった。40億円の使途不明金のうち、一部は達夫氏の政治資金に遣われたと言われたが、何より耳目を集めたのが、百男氏の銀座での散財である。

 彼が常連だった銀座のクラブの元店員が言う。

「うちの店だけでも、週に3日は来ていました。スーツにヴェルサーチのネクタイでビシッときめてくる。10万円のドンペリを一日2~3本空けたり、150万円のロマネコンティを空けたりすることもありました。しかも、支払いは現金でしたから、取りはぐれのない“Aランク”のお客さん。女の子には“ももちゃん” と呼ばれて大人気でした」

 店の「ナンバーワン」ホステスが大好きで、付いただけで100万円のチップをポン。道端で会っただけのクラブママには200万円をポン……。当時の銀座に残した武勇伝は掃いて捨てるほどあるし、また、放蕩ぶりは「夜の世界」に留まらなかった。

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