南京大虐殺を命令した昭和天皇を庇う為に色々な人が与太話を広めていますね:

わが陸軍関係にも次のような記録がある。
昭和十二年(一九三七)八月から翌十三年三月まで、
松井石根大将の専属副官であった角良晴大尉(陸士三十二期、終戦時には大佐で台湾にいた第九師団参謀長)
の回顧録を遺族がまとめた図書『七生賦』(自費出版・非売品)には、次の記事がある。

「南京は思ったより困難なく攻略できた。下関に十三万人の支那人が対岸の浦口に渡れずに残った。

これに対し、第六師団から、『どうするか』との電話があった。
第二課長長参謀(中佐)(筆者註 長勇中佐は、中支那方面軍と上海派遣軍の参謀を兼ねていた)は、
『ヤッテシマエ』と返事した。

私は、すぐ本件を総司令官に報告した。総司令官は長参謀を呼ばれて、
『十三万の支那人を殺すことは許さぬ、直ちに解放せよ』と命令された。

が、長中佐は、『この中には軍人も混ざっております』
と言った。総司令官は、『軍人がいてもかまわぬ、却って軍紀がよくなってよいだろう』
と言われた。

長中佐は、『ハイ』と言った。が、二度目の電話でも、『ヤッチマエ』と命じた」

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