>>128
しかし、1856年に始まったアロー戦争で、清朝政府を屈服させたイギリス・フランスは1860年に北京条約を締結した列強は、清朝を利用して中国での利権拡大を目指し、民族主義的な太平天国を危険視しするようになり、その弾圧に協力するようになる。
 アメリカ人のウォードやイギリス人ゴードンの指導した常勝軍と、左宗棠の湘軍(湘勇)や李鴻章の淮軍(淮勇)(ともに曽国藩の部下)という郷勇の軍事力が共同して太平天国軍を攻撃、1864年6月1日、洪秀全は病死して、同1864年7月19日、天京が陥落、太平天国の乱は鎮圧された。