◉ニップレスについてもう少し説明

ヴィクトリアのニップレスの着用について、もっとわかりやすく説明してみよう。彼女が仮想敵にしているのは、たとえば「女子のポニーテールは男子の欲情を招くので禁止」みたいな日本のイカれた校則であったり、ヌーディストビーチや混浴に「女の裸が見放題らしいぞww」みたいな態度で臨む輩のことだ(ようするにKing Gnuのドラマー勢喜遊氏みたいな人のこと)。

そういうのがあまりに馬鹿馬鹿しいので、バンド全体でグラムロック風のアンドロジナスな装いをし、肌の露出をショウアップした上で、仕方なくニップレスをしている。そういう社会的なステートメントを持ったバンドである。本人たちによる語りを知りたい人はこちら*4。

◉ポップ音楽を聴くことには、音を聴く以上の意味がある。たとえば……

最初の話に戻り、繰り返すが、差別的なMCをした彼らは、ふつうポップ音楽の聴取によって学んだり、考えたりしていくはずのあらゆるエッセンスを素通りしているのである。差別について、異文化について表現が重ねられてきた歴史を無視している。
ポップ音楽を聴くことには、単に音を聴く以上の意味があるのに。たとえば……

・クィア(特にゲイ)のアーティストを数多く知ることで、クィアな存在に関する認知・理解が深まる。

・Arcade FireやWilcoが歌うアメリカの政治の混迷から、アーティストが政治に言及する姿勢を知る。

・黒人音楽がどん欲に白人の市場を取り込むさまから、セルアウトの概念を理解する、黒人社会を動かす原動力と葛藤に想像力を巡らせる。

・他人種のカルチャーに傾倒する黄色人種として、アイデンティを見つめ直す。

・60年代のサイケ・ポップや一時期のマイルスから、人智を超えたものへのアクセスに挑戦する姿勢を知る、あるいはドラッグ・カルチャーについて知る。

・社会におけるドラッグへの扱いの差を知る。日本における「ドラッグで捕まった人の人生は徹底的に痛めつけて、抑止力として生贄になってねシステム」に疑問を持つ。ひいては“ドロップアウトした人”に対応した社会設計を意識する。

・Hiphopにおけるビーフの応酬を知る。単なる誹謗中傷ではなく、韻を踏み、オーディエンスの前で批判し合う、いわば“批判におけるプロレス的作法”を学ぶ。

・AvalannchesやDJ Shadowのサンプリングから、歴史性がリエディットされる音を聴く。創作と編集の間に明確な差がないことを知る。

・Vampire Weekendが使ったアフリカのビートに「白人による文化搾取だ」という批判が起きる、その応答から文化搾取についての知見を得る。

・ボウイやジョン・レノンが、高等教育と無縁な労働者階級から、ポップ音楽を通じて芸術家となった軌跡を知る。ひいてはポップ音楽が教育プログラムであることを知る。

いくらでもあるが、とりあえずはこんなところ。あえてアーティストの固有名詞を書いたが、名前はいくらでも入れ替え可能だ。だって、私が2008年のVampire Weekendをきっかけに知った文化搾取の問題は、2022年にシティ・ポップのサンプリングから考えることもできるし、1979年のTalking Headsから学ぶこともできるのだから。

海外のアーティストの話が多くなったが、別に日本より海外が優れていると言いたいわけではなく、日本のアーティストにも興味深い表現をしてきた人々がたくさんいる。

(後略