革命は彼方より電撃的に到来する ~外山恒一教養強化合宿"死の23期"ルポルタージュ~|山下佳也|note
https://note.com/keiya1215/n/nb2ddd83d0274

(前略

所感

まず、10日間の詰め込みがなす成果には尋常ならざるものがある。核心的ではないがノートをとっているだけでもキャッチできる情報の質と量が圧倒的に変化する。それを踏まえて講義の核心を丁寧に探れれば、従来の価値観が完全に崩壊するほどの衝撃が精神に、そして身体に走るだろう。

であるがしかし、正直なところ、外山氏の或いはテキストの著者の意図を精密に読み取っているOBOGは極めて少ないとしか思えない。合宿によって何か“新しいもの”を得たという人間より、恣意的に切り取った"外山ism"を非常に猥雑な自説に援用している人間があまりに多すぎるせいで外山界隈は正当な評価を受けづらいだろう。特に、反PCやアンチ・フェミニズム的言説をネットで垂れ流している外山派(笑)の醜悪な“運動”には正直目も当てられない。まあ、その類の人間はオモテの方の最高学府やその他の社会集団のどれに属したとて愚者であることは明らかなので相手をする必要もないのだが。

合宿について

外山合宿の醍醐味はもちろん“お勉強”だけではない。合宿特有のまあいろいろについて話しておく。

死の23期とは

外山合宿死の23期。私たちはそう自称している。あの感染症が我々を襲った凄惨な記録をここに記しておこう。

そもそも外山氏はコロナは質の悪い風邪派なので合宿内での感染対策などは基本的にないに等しい。どちらにせよ10人以上の人間が普通の一軒家で寝食を共にするわけだから、したところで無駄と言えば確かにその通りである。まあこれほどの感染爆発が各地で起きているのだから予想できる事態ではあったのだが、合宿三日目、最初の犠牲者が出ることとなる。第一の犠牲者M君は三日目の朝、軽い体調不良を訴えた。筆者は二度コロナに罹っていたため、症状を聞いてまあまず間違いなくコロナだろうと思っていたのだが、M君が頑なにこれは風邪であると言い張るのでそれ以上追求するのはよしておいた。しかし、午後になると彼は講義中であるにも関わらず柱にもたれかかり“うわごと”を言っていた。

その日は何とか彼も貫徹し、無事に終了したのだが、彼の様子はかなりおかしかった。風呂からあがり「なあ、茨城弁って半分は詭弁なんやで」と言い放ち去っていった時には我々は大いに戦慄したものだった。

その翌朝、二人目の犠牲者が出ることとなった。この時、おそらく外山氏を除くすべての人間がこう思っていた。「始まった」と。そしてさらに翌々朝に3人、その翌朝に2人が犠牲者が出ることとなった。講義室や至る部屋に死屍累々が積み上げられ、それでもなお前進する少数の精鋭と外山氏の姿はまさに“革命的な何か”の表象であり、この阿鼻叫喚は何らかの啓示であると思い込むほかなかった。毎朝、目覚める瞬間に生を実感し、夜にはまた明日の健やかなる目覚めを祈って寝る生活はここでしか体験のできないことだ。事態が悪化するにつれ、外山株の発生(学生の持ち寄った全国各地の株が急速的に変異する可能性を考えて)が現実味を増し、サナトリウム合宿やら山本桜子野戦病院(今回の炊事係と看病を担当してくださった方)などといった謎の用語が氾濫しはじめ、明らかに極限状態において精神が侵されていた。

“死の防波堤”

しかしながら、このような状態においても依然として感染せず、参加し続けた者が外山氏と三名の喫煙者である。以前からまことしやかに喫煙のコロナ感染への有効性は指摘されていたのだが、この合宿では極めて科学的にこの事実が証明されることとなった。うち、一名は喫煙者の強靭な身体を目の当たりにし、喫煙者への道を歩むこととなり、外山邸は副流煙に包まれた。圧倒的数の暴力によって生成された煙は滞留し、大気中のタール値は15ミリ程度まで上昇していた。

新しい共産主義

ここで、TOBACCOMMUNIST PARTY(TCP タバコミュニスト・パルタイ)が結成される。大気中のニコチン・タール濃度を政策的に上昇させる(そもそもこの合宿には嫌煙権の持ち込みは許されていない)ことにより受動喫煙による私有喫煙の廃止へ踏み切ることが可能になったのである。