家族の苦労は絶えなかった。ベリアは朝早くから工場に向かい、夜は飲食店と寝る間を惜しんで働いた。そんな日々を思い返し、母は苦笑いを浮かべる。「ご飯の準備をしてメモを置いて家を出て行く。一緒にご飯を食べる時間もない。生きることでとにかく精いっぱい」。康晃も事情は分かっていたが、やはり寂しかったし、納得できなかった。コンビニで夕飯を買うことも多く、学校から戻ってきて麻美と2人きりの夜を家で過ごした。

 「お前の母ちゃん、何やってんだよ」

 同級生や上級生の何げない一言に傷ついた。むかついたし、けんかだってした。用意してもらった夕飯に手をつけず、アパートの壁やタンスを何度も殴った。


2008年3月末、晴れて帝京高校への入学が決まった康晃は1枚の紙に黒いペンを走らせた。それはベリアへの感謝と決意を綴る手紙だった。

 「おれ お母さんのこと、本当に大事にしている」

 「絶対甲子園に出場して マウンドで投げている姿を、お母さんにみせたい」

 「オレ、本当に頑張ってプロ野球選手になるから。年収5000万もらって 家でも、なんでも、かってやるから」

 まずは夢を一つ実現させた15歳は、新たな目標を持って日本を代表する野球部の門をたたいた。



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