徳川家康の祖先は得体の知れない流れ者だったってマジなん😢😭💦 [805238285]
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>>81
足利にしても新田、武田にしても一族発祥の地の名前を取って名字にしてるけど、発祥の地が無ければ源姓のまま、ということはないんかね? >>25
物を知らない田舎者だな
北条は足利を乗り越えらなかったんだよ
頼朝と三河で繋がる縁故をな
武の象徴、草薙の剣を奉ずる三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く源頼朝と足利義兼は、東海地方から関東に征服者として君臨した
足利氏は三河→下野→三河
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む >>1
そもそもそんなの良くね
戦国時代でそんなのぐちゃぐちゃやろ
良家が天下平定出来なかったのが悪い
そこを突っ込んだところでどうしょうもない😾 モノホンの世良田家から出た
得川氏は佐竹の家臣だろ 常識で考えて「得体の知れない流れ者」に
ちゃんとした家系の部下が付くわけないだろう。 マジレスすると、鍵は吉良氏にある
https://mikawa-komachi.jp/spot/%20suwashrine.html
西尾には万里小路藤房の墓がある
逐電した藤房は、南朝支持の西条吉良氏を頼って西尾にやって来たんだろうが
同じく新田流氏族が吉良を頼って三河に来ていてもおかしくない
西条吉良氏は尊氏に反目していたからな >>108
上皇が尾張国に下向された時に見初められた従一位の大政所との御落胤 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています