徳川家康の祖先は得体の知れない流れ者だったってマジなん😢😭💦 [805238285]
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>>21
松平郷は矢作川水系や街道の要所ではあるし足助の鈴木家とかと同じで
古くから土豪とか庄屋クラスとして松平家が存在していたのは不思議じゃない
家康の一族も早くから伊勢氏の被官として名前が出てはいるし都ともそれなりに繋がりはあったんだろう
家康が初代とした親氏がよくわからんのは確かだが言わば神武天皇みたいなもんだし深く考えるだけ無駄だと思うわ >>32
小説は創作エピが多いが
エッセイは普通の歴史トークやで >>32
ウィキはまだツッコミ入るからエエんでない?
司馬は竜馬とか…… >>30
三川とか参河とか当てられてた時代もあるけど、古代から一貫して3と川に由来するものみたいだぞ
一方サンカという言葉が世に出てきたのは近世 武士にとって過去などどうでも良い
自分が天下さえ穫れば天皇家から嫁を貰い
何時でも血統ロンダリングできるのだ
そのための天皇家ですから
つまり将来下級出身が天下を獲った時のために
天皇家は未来永劫存続すべきなのだ
勿論その中にお前等も含まれる
大望を抱けよ あの清盛すらそれを狙っていたよな
成し遂げる前に死んだが
徳川は上手くやったと思うよ >>25
坂上田村麻呂「そもそも、征夷はどうした征夷は。」 本当の意味で
この国で上級と呼べるのは天皇家だけなのかも知れん
天皇家と比べれば
源氏や平家
嫌儲で言われているような上級国民すら
文字通り天と地程の開きがあるのだ 松平郷って今だと簡単に確認できるけど
かなり山の中のちっちゃい田舎集落だからなあ
こういうとこは今でもそうだけど切り開いた
下級豪族とかの一族が今でも代々住んでてあまりでかい人口移動みたいなのはない場合が多いから
そういう土豪の家から村出て武士として活躍した奴が出てきて一緒に戦ってたやつに
「俺は新田の家系だ」とか言ってる怪しい奴がいて気が合ったから婿養子とか養子とかにしたみたいな
かなり日本中どこにでもありそうな超普通の
出自なんじゃないかな
家康らしいといやらしいが >>34
信長も自称平氏の子孫だけど、朝廷に征夷大将軍推任されてたからな。 足利、新田、武田とかは源氏の名門で今の大河でも武田は頼朝とかと血筋では同格とか言われてたが
なんで頼朝とか義経たかだけは「源」と名乗れてたんだ?
なんかそっちのほうが本家感凄いやん >>45
むしろ逆で松平郷は今から見ればただの田舎だけど中世は潮の道だった足助街道沿いの集落で
木材の運搬ルートだった矢作川と巴川の合流地点だからそれなりの土豪として栄えていた可能性が高い
実際家康よりかばり以前から京の伊勢氏の被官としてそれなりに名が残っている
ただ田舎土豪としてそれなりに知られてしまってるからこそ源氏とつなげるには時宗の僧侶の「神話」が必要で
これが後世逆に得体が知れないって批判になって返ってきたってとこかと >>43
源平は臣籍降下の元皇族だけど、
周りにあっさりぶっ殺されることもあるし、
天皇だけは特別なのかもしれんけど、
意外と血統は大した問題ではない。 >>29
祖先の話だろこれは
足利は別に名門でもなんでもない
たまたま頼朝の蜂起に初期から参加して
鎌倉から近い位置に所領があったから北条と上手くやって鎌倉幕府内で名門扱いされただけだ >>51
なるほど
伊勢氏って後北条氏に直接繋がるし
「あーあの松平さんね」
的な部分しかないと箔が付かないとw
つうか徳川家ってやたら後北条氏と仲良い印象だけど
その頃からの付き合いなのか 皇室にも何処の馬の骨かわからん農民(弥助)の血が入っているわけだし 古文書に松平の名前がでてくるのが3代目だか4代目だかで
初代が謎だったような そもそも「ナントカの血統だから強い」みたいな少年ジャンプ的史観が大嫌いだわ
夢がねえだろ >>54
伊勢氏=北条氏と松平氏=徳川氏の繋がりとか現在あまり重視されてない部分だけど
当人逹にとっては繋がる理由があったかもしれないってのは面白い視点だよね 松平郷松平氏(440石)の参勤交代風景がどういう感じなのか気になってしょうがない 源氏はもちろん完全に仮冒だが
三つ葉葵を創作した時点で本多と同祖(賀茂氏)を想定してたのは確か スナフキンみたいな流れ者が現地の豪族に気に入られて婿になってその子孫がこの国の支配者になったんだよな
そう思うと夢がある話ではある 源氏自体、北面の武士として白河法皇に仕えるまでは
天皇の血を引いてるだけの地方豪族でしかなかった マムシの斎藤道山は油売り商人
猿の豊臣秀吉は針売り業者
こういうもんなんだから元をたどればそうなるだろ 松平初代(単なる味噌糞田舎の土豪)「ワイの家は足利に滅ぼされた!10代のうちに足利を滅ぼしてやる」 >>13
より正確に言うと伊勢盛時さん率いる今川軍が西三河でイキってた岩津松平さんをタコ殴りした際に安祥松平の長親さんが生き残って勢力を拡大し、二代後の清康さんが岡崎占拠で頭角を現した。 >>54
徳川と北条は伊勢宗瑞と松平長親の頃からのお付き合い、まあその頃は殴り合いだが。 >>71
大政所の父親が織田信秀の家臣で
秀吉が織田に士官できたのもそのコネだって説があるな >>28
それは詐称
名門じゃないと征夷大将軍になれないんでグンマーの名門世良田源氏の家系図を金で買った >>73
秀吉は自分の氏素性を意図的に消したから詳しい事がはっきりしないんだよなあ。 >>72
それより100年近く前には既に松平氏は伊勢氏の被官だったって話やで
何かと縁が深い一族 「わたくしと申しますのは東西を定めずに旅する浪々の者でありまして、恥ずかしく存じます」 織田信長「わしは平家の血を引いてる」
徳川家康「わしは新田源氏の血を引いてる」
豊臣秀吉「・・・先祖の記録ごと抹消してやったわ」 >>77
被官って家臣?
それがなんで三河に土着して伊勢氏と戦ってたの? >>48
一族の始祖のほうはまだ少ないから姓だけで区別できたけど、子孫が増えすぎると覚えられなくなるから名字で細分化しないと不便すぎる
同じことは藤原氏でも起きてて、平安時代後期には「藤原」を直接冠する人物はほとんどいなくなる
(奥州藤原氏とかいるけど、どう見ても主流じゃないし) 頼朝なんて弟の範頼が源姓を名乗っただけでも
殺しちゃう陰湿さだぞ >>80
松平氏は元々三河の土豪で一族の中から都の下級武士として使える者が出るなど京とも繋がりがあった
家康先祖の直系先祖の信光も当時幕府の実力者だった伊勢氏と主従関係を結んでいて
伊勢氏の命で幕府に逆らう勢力を鎮圧するなど三河で勢力を拡大する足掛かりを作ったってとこまではわかってる >>24
サンカを最後に見たのはディスクシステムのマリオゴルフのCMだな、あれ以降語られることすら無くなった >>79
>>76
秀吉は被差別階級の出だろ。針売りとか指が6本あったとか。
何年か前に大部の研究書が出てた >>53
なに言ってんの?
「高氏」は後醍醐天皇に尊の字を偏諱授与される前の「尊氏」だぞ?
ちなみ高氏の高は北条得宗家14代執権の北条高時からの偏諱授与であり
足利尊氏の正妻が北条氏で得宗家の次に家格が高いからの赤橋家の登子
こいつの実兄が鎌倉幕府の16代執権であり通説では最後の執権の北条守時
鎌倉幕府において源氏筆頭であり北条氏以外の御家人では圧倒的待遇だったのが足利氏
源氏の末席だったとかトンチンカンなこと言ってんのお前だけだろw >>90
源氏嫡流をどんどんぶっ殺して傍流が成り上がったのが鎌倉幕府だろ
新田も足利も源義国の傍流 どうでもいい
家康の祖先が流れ者であろうがスーパーセレブの家系であろうが
日本の不幸の諸悪の根元である江戸時代がいまさらどうなるものでもなし 初代から暫くは武力ではなく金で土地買って勢力を近隣に広げてたらしいが
商人説もある 東日本 土人の集落
九州 隅っこの土人
こんな認識だぞ 戦国大名化した国衆だっけか、他には毛利家とか、あまり例がないんだってな 日本の歴史教育、三河の源頼朝、三河の足利尊氏、三河の徳川家康をセットで捉えるのが必要
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 そもそも日本の支配層で得体の知れてる奴らっているの? >>35
物を知らない田舎者だな
伊勢氏は、平安期、鎌倉期は三河にいた
後北条氏の先祖、伊勢俊継
伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継)初代伊勢氏)→伊勢盛継→伊勢貞継)
■藤原俊経(****~1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶
・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■伊勢俊継(1217~1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****~****):初代伊勢氏・伊勢俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋
・三河国滝山寺僧
■増恵(1209~1283):初代伊勢氏・伊勢俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・三河国滝山寺僧
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去 >>81
足利にしても新田、武田にしても一族発祥の地の名前を取って名字にしてるけど、発祥の地が無ければ源姓のまま、ということはないんかね? >>25
物を知らない田舎者だな
北条は足利を乗り越えらなかったんだよ
頼朝と三河で繋がる縁故をな
武の象徴、草薙の剣を奉ずる三河の藤姓熱田大宮司家の血を引く源頼朝と足利義兼は、東海地方から関東に征服者として君臨した
足利氏は三河→下野→三河
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←乗っ取られる(笑)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む >>1
そもそもそんなの良くね
戦国時代でそんなのぐちゃぐちゃやろ
良家が天下平定出来なかったのが悪い
そこを突っ込んだところでどうしょうもない😾 モノホンの世良田家から出た
得川氏は佐竹の家臣だろ 常識で考えて「得体の知れない流れ者」に
ちゃんとした家系の部下が付くわけないだろう。 マジレスすると、鍵は吉良氏にある
https://mikawa-komachi.jp/spot/%20suwashrine.html
西尾には万里小路藤房の墓がある
逐電した藤房は、南朝支持の西条吉良氏を頼って西尾にやって来たんだろうが
同じく新田流氏族が吉良を頼って三河に来ていてもおかしくない
西条吉良氏は尊氏に反目していたからな >>108
上皇が尾張国に下向された時に見初められた従一位の大政所との御落胤 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています