<ゴルバチョフ旋風>
 それまでエリート街道を順調に進んできたゴルバチョフは、けっして社会主義体制を改めるというタイプの過激な政治家ではありませんでした。しかし、1985年に書記長の座についた彼は官僚組織の抜本的な改革については積極的で、あの有名な「ペレストロイカ」(改革)を始めます。特に彼が重要視したグラスノスチ(情報機関)は、ロシア国民に現状を認識させることで、政治への参加を促し、「改革」実現の大きな原動力となりました。(「グラスノスチ」の「グラス」という言葉は元々詩を朗読する際の「声」を意味しているらしく、「声に出して現状を説明する」という積極的な意志を表していました)
 しかし、ゴルバチョフの名が世界に知られることになったのは、ペレストロイカによる国政の改革によるものだけではありませんでした。彼はアメリカに対して核兵器の大幅な削減を提案。1987年にINF(中距離核兵器)全廃条約の調印を実現します。1989年には、1979年から続いていたアフガニスタンへの介入を止め、軍隊を撤退させました。その他にも、米ソ首脳によるマルタ会議を実現させるなど、東西対立の緊張を和らげるための活動を展開。もちろん、これは経済的にも崩壊寸前だったソ連による苦肉の平和貢献だったともいえるのですが、・・・。