https://note.com/chanelagain/n/n38c55821009f
私の母を勧誘した統一教会の人々の記憶

これは30年も前の話だから、今とはだいぶ状況が違っていた。当時の養護学校にはスクールバスがまだなくて、母親が歩けない子供の送り迎えを毎日していた。

養護学校というのは普通の小学校のように各地区にはないから、横浜市内に数校しかないそのひとつに通うために、母親たちは片道20~30キロある道のりを毎日送迎していた。私の母もそのひとりで、片道一時間半かけて妹を学校に送り届けた後の駐車場で、にこやかな優しい笑顔でねぎらいの言葉をかけてくれる人が現れたら、思わず心が緩んでしまう。
そこをあえてそっけない言葉で跳ね返し、優しい笑顔の裏にある思惑に騙されないようにしなければと、気を張って毎日を過ごすのは、辛かっただろうと思う。
母はそんな日々を送っていた。私の母だけでなく、当時一緒に養護学校に通っていた妹の同級生の親たちも皆そうだった。

 勧誘に来る信者たちは、「障がいは前世からの罪だ」と言った。身体障がいを持って生まれたことは、前世で悪い行いをしたその罪が現世に現れてしまっている証拠だから、心を悔い改めて今を生きなさいと、当時の勧誘者たちは堂々とそう言っていた。
これはとてもトリッキーな文句で、今の感覚では考えられないことかもしれないが、当時は宗教家や一般の人の間でも障がいをこのように捉える人が少なくはなかった。
実際に、ご近所のお年寄りに私も似たようなことを言われたことがあった。彼らは悪気で言ったのではなく、そのように考える傾向が当時の日本社会にはまだあったということだ。