https://www.cinra.net/article/202209-utoro_iktaycl

ウトロ地区とはどんな場所?住民たちの歩み
そもそも、ウトロ地区はどのような場所なのだろうか。

現在、60世帯、100人が暮らすウトロ地区。ここにはかつて、アジア・太平洋戦争中、国策事業の京都飛行場を建設するために集められた朝鮮人労働者たちの宿舎(「飯場」)があった。「飯場」が開設されたのは1943年ごろ。
戦後、さまざまな理由で現地に残った労働者と家族らが暮らしたが、住民らは劣悪な環境での暮らしを余儀なくされた。1986年に「ウトロに水道施設を要望する市民の会」が発足し、1988年、ようやく上下水道の整備が進められた(*4、5)。