「あまりにも失言が多かったため、“サメの脳みそ”と揶揄した出版社を森さんは許せなかったということです。以前、石破茂さんの顔のことを“バカボンパパ”とからかった週刊誌がありましたが、石破さんもそのことを根に持っていましたね。『家族もいるんだから、あれはないよね』と、やんわりとでしたが直接文句を言われた、とライターさんに聞いたことがあります」

 森さんの、絶対許さないという意気込みが通じたのか、出版社枠の公式スポンサーに選ばれたのはKADOKAWAだった。

 前出・ベテランン編集者が続ける。

「出版業界では五輪は講談社、という暗黙の了承があったのです。小学館も文藝春秋も、手をあげたりしないのはそのためです。1964年の東京五輪の際に講談社が関わったことがその後に続いているようで、長野五輪の際も、写真関係は講談社、文字関係は地元の信濃毎日新聞とすみ分けができていました。

 五輪の出版物というのは、一般的に書店で販売される書籍だけでなく、選手村に毎日配られる印刷物などを作るためノウハウが求められる。それが講談社にはあった。大きな商売をやろうとしたKADOKAWAがそこに割って入ったわけですが、結果は逮捕者を出すというありさまです」

 森さんが「絶対許さない」と講談社を敵視したばかりに、逮捕者を出し、会長宅にまで家宅捜索が入ることになったKADOKAWA。ブランド名は大きく傷ついた。