WW2の時よりは人道的やんけ

懲罰部隊に送られた者には、以下のような類型があった。

・捕虜となっていたソ連兵。

ソ連兵にとって捕虜となることは国家に対する反逆行為とみなされ、救出されたり、脱走に成功しても、自発的に敵軍に投降した者とともに「元軍人」として扱われた。

1944年11月には、特別収容所で審問中のすべての元将校も、懲罰大隊へと送られることになった[14]。なお、戦後に生還した捕虜はしばしば死刑となった[15][16]。


・敵軍勢力下に取り残された「敵軍に包囲された者」。

これら捕虜にはならなかったソ連兵は、多くはパルチザンに加わったり、なんとかソ連軍の勢力圏まで敵陣を突破して生還したりしたが、捕虜と同様に冷遇された。

1941年頃は後方の建設部隊に送られてラーゲリに近い処遇を受けていたが、それ以降は懲罰部隊へと送られることが一般的になった[17]。