「信長の宮廷に惟任日向守殿、別名十兵衛明智殿と称する人物がいた」

「その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。
殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、(受けている)寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。
 彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、
忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。また築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主で、選り抜かれた熟練の士を使いこなしていた。
彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛の情を得るためには彼を喜ばせることは万時につけて調べているほどであり、
彼の嗜好や希望に関しては、いささかもこれに逆らうことがないように心掛け、彼の働きぶりに同情する信長の前や、一部の者がその奉仕に不熱心であるのを目撃して、
自らはそうでないと装う必要がある場合などは涙を流し、それは本心からの涙に見えるほどであった。
また友人たちの間にあっては、彼は人を欺くために72の方法を深く体得し、かつ学習したと吹聴していたが、ついにはこのような術策と表面だけの繕いにより、
あまり謀略には精通していない信長を完全に瞞着し、惑わしてしまい、信長は彼を丹波、丹後二カ国の国主に取り立て、信長がすでに破壊した比叡山の延暦寺の全収入とともに彼に与えるに至った」