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「つらければ逃げればいい」――爆笑問題・太田光にとって生きることは居心地のいい場所を探し続けること #今つらいあなたへ

太田光の高校時代はまさに暗黒時代だった。入学初日にクラスメートに話しかけるきっかけを見つけられなかった、たったそれだけで高校三年間、誰とも会話をすることがなかった。次第に鈍っていく感情。気づけば「死すらも間近に感じた」という太田を救ったのは、ピカソの一枚の絵だった。(取材・文:キンマサタカ/撮影:豊田哲也/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
高校時代は「真っ暗闇だった」
「早くここから抜け出したい、そればかり考えていました」
歯に衣着せぬ発言を電波に乗せ、良くも悪くも話題を巻き起こす芸人、爆笑問題の太田光(57)。どんな場面でも貪欲に笑いを欲し、大御所だろうとつっかかっていく。見ているものをハラハラさせるが、最後は笑いでしめくくる、希代のテレビ&ラジオスターである。画面越しにも気難しそうなイメージを与える太田だが、少し影のあるキャラクターをかたちづくったのは高校時代だった。
太田の高校時代は「真っ暗闇だった」。ただなんとなく入った学校。もちろん楽しい学園生活を送ろうと思っていたが、入学初日に友達に話しかけるきっかけがつかめなかった。
「ほんとに何があったわけでもないんだけど、初日に誰とも話せなくてね。明日は誰かと話せるだろうと思うじゃないですか。そんなことを1週間くらい続けているうち、時間だけが経って、しばらくして『あれっ』と思ったんです。このままだと友達できないかもって。1カ月が経つと、もはやどうやってきっかけをつくればいいかわからないんです」
クラスメートから変なやつだと思われてるんじゃないか。自意識にさいなまれた太田は、毎日学校に行くのが苦痛だった。
「どうにかしたいという気持ちはずっとあったけど、どうすることもできなかった。まわりにどう思われてるんだろうっていつも気にしていました」
例えばクラスメートが話しかけてくれたり、先生が取り持ってくれたり、そんなきっかけがあったら変わっていたかもしれない。だがそんな奇跡は起こらなかった。
友達をつくるきっかけをずっと探していた太田は、1年の夏に行われた泊まりがけの学校行事に期待した。
「水泳合宿は泊まりがけで、さらに団体行動だったからね。でも、ダメだった。海に行って泳ぎの練習をして、部屋に帰ってくると、みんなが車座になってワイワイやってる。自分は部屋の隅で一人で本を読むしかなかった」
太宰治や島崎藤村など、葛藤や蹉跌を描いた作品を好んだ。友人との会話に夢中になる同級生を尻目に、必死に文字に集中した。
「『人間失格』で太宰は学校でわざと失敗して道化を演じるんだけど、一方でそういう自分が嫌らしくて許せないと思い詰めたりする。要は自分を作品に投影していたんです」
自意識過剰だったからこそ、太宰のそういう繊細さに共感したのかもしれないと振り返る。
「いま思えばさ、格好つけずに『ごめん、友達になってほしいんだ』って素直に言えばよかったよね。でもそれが言えなかった」
学校に行っても一言もしゃべらない日々。所属した演劇部の部員は太田一人で、活動らしい活動もせず、そのまま電車に乗って自宅に帰る。家に帰って初めて口を開くという生活の繰り返し。太田の両親は息子が学校で孤独を感じていたことを知っていたのだろうか。
「特にそんな話もしなかったけど、何となく感じてたんじゃないかな。中学の時はいろいろ友達の話をしてたのに、一切そういうのがなくなったからね」
高校生活は「何となく諦めちゃった」
気がつけば1年が経っていた。次第に、あと2年間我慢すればいいと思うようになっていた。
「何となく諦めちゃったんです。高校3年間が終わればまた変わるだろう。次のクールで挽回しようと」
太田は高校生活に早々に見切りをつけた。ここではダメだったが、次でチャンスがあると思った。そう切り替えたはいいが、どうやって残りの時間を過ごしたのか。
「とにかく、本を読んでましたね」
クラスメートたちが友達と楽しい時間を過ごすあいだ、ひたすら読書に没頭した。
「若さゆえの自我?そうでしょうね。この経験は自分にとっていつかプラスになるだろうって思わずにはいられないんですよ」
インプットを増やすべく、休みの日は、映画や芝居、展覧会に足を運んだ。学校生活では得られないものを自分の中に蓄積しようと必死だった。そのなかで太田は絵画に強い興味を持った。
「父親がもともと漫画家を目指していたような人で、自宅の本棚に画集が並んでてね。その中から自分の好みのものを眺めていました」