それでは何が文化を停滞させているのか。ティールに言わせると、それはキリスト教の衰退が大きな部分を占めるという。「キリスト教がいまよりも自然だった世界」は、「拡張する世界、進歩する世界」であり、それはビクトリア期の英国で絶頂期に達したという。

「実際の帝国もそうでしたが、知識や科学やテクノロジーなどの進歩といったことでも拡張の感覚があったのです。それはキリスト教の歴史観である終末論とも、どこか自然に調和していました。一方、いまの世界は、進歩が停滞したエコロジーの世界であり、宗教への信仰は崩れています。社会学の視点から見れば、これらには関連があるのではないかというのが私の考えです」

とはいえ歴史家の多くは、ティールがキリスト教的テクノロジー進歩主義の名のもとで奨励する科学的探究の出現こそ、キリスト教を徐々に衰退させたのだと論じてきた。私はそのことを指摘しながら、信仰の世界と、科学技術の世界とのバランスを保つことなどできるのだろうかと尋ねてみた。

ティールはこの質問も、学者によくありがちな見当違いの質問だと受けとった。ティールは、英国での民衆の宗教心の低下は大英帝国の終焉の時期と重なることを話しはじめた。

「拡張的な見方をして諸国民を信徒にするために世界各地に宣教師を派遣していたのに、なぜかその事業が意味を持たなくなり、それが自国の社会の崩壊につながっていったのです。私の感覚では、英国は1950年代までは、まだかなりキリスト教でしたが、1980年には完全にそれがなくなりました。それは植民地の終焉の時期と重なるのです」

ティールに言わせると、これはいまのアメリカ帝国の停滞と後退にも重なる話だという。

「2000年の米国が1950年の英国であり、2020年の米国が1975年か1980年の英国だというのが私の感覚です。いまのアメリカでは拡張的な部分が大幅に衰退していますからね」

アメリカは帝国的な宣教の使命を放棄したというわけだ。

「1999年とか2005年には、まだ世界を改宗していく感覚があったのですが、それが不思議なことに、いまはなくなりました。どんな因果関係があるのかはわかりませんが、それはキリスト教が伸びていたことと関連があり、キリスト教が伸びなくなってから深刻なトラブルに直面するようになっているのです」