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古鳥羽護
@A1w3d1XjS9x84Ce
2020年8月22日
私は、荻野稔や近藤顕彦が「変」だから彼らを批判しているわけではないのです。
彼らに「差」を付けるためにマウントポジションを取りたいわけでもないのです。
彼らが人間らしさと言うものを冷笑し、相手の配偶者を美少女フィギュアと同等だと言うから怒っているのです。

私が彼らの仲間だった頃、彼らから聞かされていたのは「全米ライフル協会の手法に学ぶ」と言う事でした。「銃ではなく人が人を殺す」の理屈で「エロ漫画ではなく人が幼女を犯す」として「表現無罪」を主張すると。これ、麻生太郎の「ナチスドイツの手口に学ぶ」に似てますよね?

私は、児童ポルノ禁止法への民主党側の対案だった「児童性虐待記録物」と言う表現は筋が良いと思います。「裸」と「性的消費」の問題を分ける事が、議論の混乱を治める事になるからです。しかし「全米ライフル協会の手法に学ぶ」と言っている人達がいつまでも民主党と仲良くできる筈はなかったのです。

実在する児童を性的消費の意図を持って撮影する事は明確に「性虐待」と言えますが、思春期の性を描く為に節度をもって撮影するのならば、それは性的自己決定権の尊重についての時代ごとの基準と、現在被写体本人がどう思っているかの問題です。その視点が運動の本流にならなかった事が失敗なんです。

「全米ライフル協会の手法に学ぶ」では、実在・非実在に関係なく「性的消費は文化であり、それに煽られて性犯罪を犯す者を罰するべきで、性的消費そのものは無罪である」と言う理屈になります。自分自身が対象ではなくても、社会の中の性的消費行為に脅威を感じる側の心情は意図的に無視されています。
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