「小さくともキラリと光る国」というキャッチフレーズを掲げ、当時、小沢氏が唱えた「普通の国」に対抗。少数政党を率い、当選回数が少ない割に有力ポストを相次いで務めたことから「バルカン政治家」との批判も浴びた。風貌から「ムーミンパパ」とも呼ばれた。

96年の旧民主党結党時には、鳩山氏から入党を拒まれ、「排除の論理」という流行語を生んだ。2000年の衆院選で落選し、01年に政界引退を表明した。