徳川家康・家臣団の子孫が福山に集結、井伊直政は「悪いくせ出なければ…長生きできたのに」
 徳川家康と家臣団の子孫が一堂に会したシンポジウムが2日、広島県福山市松浜町のリーデンローズで開かれた。家康のいとこで福山城を築いた水野勝成の 末裔まつえい らが先祖の功績を振り返り、集まった約850人が耳を傾けた。

 福山城築城400年を記念して市などが主催。徳川宗家19代の徳川家広さんや水野家の水野勝之さん、幕府の老中首座を務めた福山藩主・阿部正弘の子孫・阿部 正紘まさひろ さんを始め、家康の重臣「徳川四天王」のうち酒井忠次、榊原康政、井伊直政から連なる3家の当主が参加した。

 シンポでは、歴史学者の小和田哲男さんが家康と家臣団の関わりを解説。徳川さんと水野さんの対談に続いて全パネリストの討議があり、戦ごとに家臣団の武功をたどった。

 井伊家当主の井伊 直岳なおたけ さんは、直政が関ヶ原の戦いで先陣を切り銃撃されて負傷し、命を削ったことについて「(勇猛な)悪いくせが出なければ長生きできたのに」と冗談交じりに語った。水野さんは勝成が大垣城の戦いで着用した 甲冑かっちゅう を幼少期に端午の節句で飾ってもらっていたエピソードを披露し会場を驚かせた。

 徳川さんは「家康は瀬戸内海の文化を変えたいとの思いで腹心中の腹心の勝成を福山に送った。 今日こんにち 大変な繁栄を遂げ喜ばしく、市民の方は歴史的な重みを誇りに感じてほしい」と締めくくった。

https://www.yomiuri.co.jp/culture/20221003-OYT1T50121/