旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強制された宮城県の60~70代の女性2人が起こした国家賠償請求訴訟の控訴審が、仙台高裁(石栗正子裁判長)で続いている。11日の裁判では原告の本人尋問があり、70代の女性が「苦しい思いで生きてきました。せっかくこの世に生まれたのに、優生保護で人生は終わりです」と訴えた。23年1月16日の次回公判で結審する見込み。【平家勇大】

 ◇不妊理由に離婚

 手術後に受けた差別について話したのは、飯塚淳子さん(活動名)。訴状や尋問などによると、飯塚さんは中学3年で仙台市内の知的障害者施設に入所。卒業後、知的障害者を預かる職親の下で暮らした。16歳の時、何も知らされないまま職親に連れて行かれた診療所で不妊手術をされた。

 古里を離れ、一時は幸せな結婚生活を送った。しかし、「素直に話せば、受け入れてもらえるかもしれない」と子供を産めないことを夫に明かすと、周囲の態度は一変。離婚を迫られ、追われるように身一つで家を出た。抑うつの症状が出て、働けなくなり、生活保護を受けた。

 手術が旧法に基づいて行われたことは97年に父から届いた手紙で知った。支援団体に相談し、宮城県に手術記録の開示を請求したが、焼却処分されたとして却下された。「人の人生を奪っておきながら記録を処分するなんて」。その後、団体のメンバーと国に謝罪を求めたが、旧厚生省は「調査も謝罪もしない」との回答を繰り返した。約20年にわたり被害を訴えるなか、精神的な苦痛で体調も悪化した。

 手術記録がないため行き詰まっていた状況は、県が18年に飯塚さんを当事者として認める方針に転じたことで動き出した。全国の被害者と共に提訴し、19年の1審・仙台地裁判決は旧法を憲法違反と認定。一方で、不法行為から20年で損害賠償請求権が消える「除斥期間」などを理由に国の責任についての判断では慎重姿勢を取り、請求を棄却した。

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