基調講演で同センターの寺沢薫所長は、中国の史書「魏志倭人伝」の記述を踏まえ、共立の時期や共立前夜の状況など様々な問題点があると指摘。「3世紀の卑弥呼共立は、明治維新と同じ重大な事件だった」としたうえで、「纒向遺跡は大和王権の最初の王宮が造られた場所で、纒向遺跡の重要性は明らかだ」と強調した。

 その後、寺沢所長と俳優で考古学研究者の苅谷俊介さん、禰宜田佳男・大阪府立弥生文化博物館長、渡辺義浩・早稲田大教授(中国古代史)が、関口和哉・読売新聞橿原支局長の司会で議論。苅谷さんは卑弥呼を補佐した「男弟」に注目し、「人数は書いていないが、国政を補佐する男弟が複数人いたのではないか」と推察した。

 禰宜田館長は弥生時代後期の畿内地域の状況について「直接的に評価できる考古学的な物証は少ないが、鉄器や青銅器は瀬戸内海を通じて畿内にもたらされ、その中で吉備地域の政治勢力と連携し、大和王権が出現した」などと説明した。

 また渡辺教授は、中国の史書「三国志」について紹介。「共立とは、卑弥呼が邪馬台国の君主であるだけではなく、倭国の王であることを示している」と話した。
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