世田谷一家殺人事件の闇が深いのはこの事件が起きた2000年12月30日の半年程前の5月14日に当時の首相小渕恵三氏が現職総理大臣として極めて異例の急死をしており、その後を襲って総理大臣になったのが「俺が清和会を作った」おじさんモリモト。
アベジューシーの2日後に、全身血まみれの全裸状態で救急搬送されながら何故か直後にはニュースにならなかった不思議オジサンでもある。
これ以来アベジューシーまで清和会は万年常勝、選挙の晋さんがホルホル止まらない病を患っていた事は記憶に新しい。
実は小渕恵三首相は急死する半年程前の前年度1999年10月29日に開かれた第146回国会の(臨時会)招集の際の所信表明演説で(安全な社会の実現)中、1995年に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教を念頭に置くものとしながら、凶悪犯罪を起こしたカルト教団に対する立法措置により規制を強化していく姿勢を表明していた。

真偽は不明だが、これは最近出てきた裏話として國松警察庁長官狙撃事件に対応して警察サイドから要望があり、オウムと似たような背景を持つカルト教団として統一教会も視野に入れていた取締法だったといわれている。
が、その所信表明演説から半年程経った翌2000年5月14日に小渕恵三首相は急逝し、代わって首相の座に就いたモリモト以降、清和会の息のかかった人事が警察トップに及び、その影響か定かではないものの、その年の暮れに起きた世田谷一家殺人事件は以降、遅々として捜査が進まず暗礁に乗り上げてしまったかの様相を呈したまま一向に解決せず、今日に至る