言うまでもなく、日本の労働契約法第16条は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない」解雇を無効としているに過ぎない。
何が客観的に合理的であり、社会通念上相当であるかは、その雇用契約が何を定めているかによって自ずから変わってくる。

欧米で一般的なジョブ型雇用契約では、同一事業場の同一職種に配転可能でなければ、労使協議など一定の手続を取ることを前提として、整理解雇は正当なものである。
それが日本型正社員について正当となりにくいのは、雇用契約でどんな仕事でもどんな場所でも配転させると約束しているからで、
実際日本企業はそのおかげで欧米企業には考えられないような内部的柔軟性を存分に享受してきた。共稼ぎで親の介護と乳幼児の保育を理由に遠隔地配転を拒否した正社員の懲戒解雇を、日本の最高裁は正当と認めている。

 日本は解雇規制が厳しすぎるのではない。解雇規制が適用される雇用契約の性格が「なんでもやらせるからその仕事がなくてもクビにはしない」「何でもやるからその仕事がなくてもクビにはされない」という特殊な約束になっているだけなのだ。
「なんでもやる」という前提に逆らった者に対しては、欧米では信じられないような冷たい対応も正当となるのである。