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【悲報】米国人ジャーナリスト「統一教会の源流はウクライナ人が創設した国際的反共団体にある」 ナザさん…どうして… [206389542]
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0001番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5e67-K2el)2022/11/09(水) 19:20:06.87ID:/2lXYslW0●?2BP(1000)

 統一教会が「反共」を基本とする運動にかかわる歴史は、理念的には1917年のロシア革命にまで遡る。かんたんに振り返っておく。

 ジャーナリストのジョン・リー・アンダーソンとスコット・アンダーソンによれば、第二次世界大戦中、ウクライナの独立運動をしていたヤロスラフ・ステツコは、ナチスに逮捕され転向。ユダヤ人虐殺に手を染め、やがて反ボルシェビキ国家連合(ABN)という反共団体を結成。西ドイツのミュンヘンで暮らすステツコは、1950年代後半から台湾をしばしば訪問し、蒋介石の考えと行動に共鳴したという(『インサイド・ザ・リーグ』社会思想社)。一方、1954年にAPACL(アジア人民反共連盟)が韓国・ソウルで結成された。韓国の李承晩大統領と台湾の蒋介石の提案によるものだ。この年に統一教会が韓国で結成されている。一方、APACLに注目したステツコは、58年にメキシコシティで開かれた世界反共連盟発足準備会議に参加。

 やがてそれらの流れが合流してAPACLを基礎にWACL(国際反共連盟)がソウルで結成されたのが1966年。ステツコのグループが東欧圏から南米に逃れ、国際的な反共活動を行っていたグループがアジアで見出したのが、韓国では文鮮明教祖だった。
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──改定新版 統一教会とは何か
有田芳夫著 大月書店 2022年刊
『序章 統一教会と政治の関係はどう築かれてきたか』より引用


安倍政権8年と統一教会の関係を検証 反響呼ぶ鈴木エイト・有田芳生の最新著書 覆い隠せぬ自民党との組織的関係
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/24726
0002番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5e67-K2el)2022/11/09(水) 19:20:18.93ID:/2lXYslW0?2BP(0)

 本書の主題である世界反共連盟(WACL、略称ワクル)が、どんな目的で、どのようにして創られたか──それについては、本文の記述するところに委ねれば十分だろう。一九六六年、韓国と台湾の政府首脳と日本の二人の元戦犯、それに特異な宗教団体・統一教会を主宰する文鮮明師の五人が主たる組織者だったと、著者たちは指摘している。

 だがこの日本訳では全体の分量上の都合で割愛したが、その部分で、本書の著者たちは世界反共連盟の創設には、もう一人の重要な影武者が関わっていたとしている。それは反ボルシェビキ国家連合(ABN)議長のポストにあったウクライナ人ヤロスラフ・ステツコである。

 聖職者の息子として生まれたステツコは、第二次世界大戦当時、ウクライナの独立運動に参加してソ連および当時のドイツと戦ったが、ドイツ軍に捕えられ、ザクセンハウゼンの収容所に収監される。そこでいわば一つの転向。ナチの協力者として生まれ変わり、ウクライナのリボフで、約七千人ものユダヤ人虐殺の指揮をとった。そして第二次世界大戦後の一九四六年には、イギリス情報機関の一員となり、亡命ウクライナ人の組織化につとめる一方、前記のABNを組織した。また西独のミュンヘンに居をおいて、一九五六、五七、六一、六四年と頻繁に台湾を訪問し、当時の蔣介石国民党総裁の考えと行動に共鳴するとともに、すでに五四年に発足していたアジア人反共連盟(APACL)に注目したという。一方北米大陸では、一九五八年にメキシコシティで世界反共連盟の発足準備会議が、このステツコを含めて開かれた。今日では、レーガン米大統領、ブッシュ副大統領とも面識をもつステツコのオルグの下に、一九六六年にアジア人を主役にして創り出されたのが、世界反共連盟だったということになる。

 著者たちは、こうしたステツコの果たした役割だけでなく、第二次世界大戦中にナチに協力し、戦後亡命した東欧やソ連(たとえばウクライナや白ロシアなど)の関係者が、世界中、とりわけ中南米に散らばって、世界反共連盟の地域支部の指導者になっている例が少なくないことを強調している。

 また、こうした経過と構造があるために、世界反共連盟の綱領的基礎に、ヒトラーの反コミンテルン政策があり、その推進している活動──暗殺やテロリズム、対ゲリラ戦、経済戦争やサボタージュ、情報・心理戦争、そしてさまざまの政治戦争の手法も、ナチのとったやり方をまねた、あるいは継承した部分が少なくないことに、読者の注意を喚起している。
https://i.imgur.com/RwBDEZB.jpg
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──インサイド・ザ・リーグ 世界をおおうテロ・ネットワーク
ジョン・リー・アンダーソン、スコット・アンダーソン共著
山川暁夫監修 近藤和子訳 社会思想社 1987年刊
『監修者はしがき』より引用
0003番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5e67-K2el)2022/11/09(水) 19:20:35.85ID:/2lXYslW0?2BP(0)

 六〇年代のことになるが、五人のアジア人が先鞭をとり、やがて六大陸、およそ百余の国に広がっていく運動が始まった。(中略)つまり台湾の蒋介石、韓国の朴正煕、日本の笹川良一と児玉誉士夫、そして文鮮明のことである。彼らは決して一部の人間が称えるような資質を備えた人間ではなかった。五人のうちの二人は戦争犯罪人として、一人は反国家活動をしたという理由で、さらにもう一人は道義上で不正義ありと告訴されて獄につながれた人びとである。しかしこの五人の共同の努力がなかったならば、今日存在する世界反共連盟(WACL)はたぶん生まれはしなかったろう。

 世界反共連盟は、かつてステツコがつくった反ボルシェビキ国家連合(ABN)が一九五四年に旗揚げしたアジア人民反共連盟(現在はアジア・太平洋反共連盟・APACL)を、アジアの共産主義の潮流に抗すべくその統合を図ったところから生まれた。APACLは、それまでも家名勢力のすべてを脅かしている”赤の一群”と戦う保守主義者の全アジア的規模での統一をめざしてきていた。このABNやAPACL、その他のグループが合流して一九六六年に世界反共連盟をつくった。これによってAPACLが解散したということにはならなかったが、以後APACLの位置は、より大きな世界組織の地域支部に格下げされるものになった。
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──同インサイド・ザ・リーグ『1 五人の紳士』より引用
0004番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 5e67-K2el)2022/11/09(水) 19:21:03.13ID:/2lXYslW0?2BP(0)

 児玉には相当のものがあった。戦争に助けられ、またそのパトロン格だった笹川良一のおかげで、児玉は二億円以上の財産を手に入れていた。後年彼は、その金で日本の支配政党の結党を助け、首班の更迭に口をはさみ、世界反共連盟(WACL)を資金的に援助する。そして日本現代史上最大のスキャンダルの主にもなった。この彼と一緒に動いていたのが、長い盟友の笹川である。(中略)

 一九六七年の七月、笹川は自分がもっている山梨県のある湖の畔りの家で、ひそかにある陰謀の会合を開いた。出席したのは文鮮明、白井為雄、久保木修己。白井は児玉誉士夫の地下活動の側近で、「日本青年講座」という表向きでは何ということもない名前をつけた組織の事務局長をしていたが、それはいわゆるヤクザの青年に右翼思想をふきこみ、訓練するための組織だった。久保木は日本の原理運動の指導者で、この青年講座に呼ばれたこともある人物だった。

 会合の目的は、世界反共連盟の傘下で活動し、文鮮明の世界反共十字軍運動を促進させ、ヤクザ右翼組織の指導者たちに新しい見かけのいい格好をつけさせるような韓国型の反共運動を、日本に創り出すことにあった。勝共連合がこうして日本でも誕生し、笹川がその名誉会長、児玉が顧問格となった。

 六八年四月、この勝共連合は公式に、世界反共連盟の日本支部に選ばれた。勝共連合と統一教会は建前上は関係のないことになっているが、実際には勝共連合の全メンバーは、文鮮明崇拝者ないし児玉、笹川が率いるヤクザの子分らで埋められていた。
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──同インサイド・ザ・リーグ『2 サムライと聖職者』より引用
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