《明石歩道橋事故21年》明石市、入庁1年目職員に教訓語り継ぐ「ここで、まだ悲鳴が聞こえる」市民を守る使命誓う
2022/07/21

兵庫県明石市で2001年、花火大会の見物客がJR朝霧駅の歩道橋で転倒し11人が死亡、247人が負傷した事故から21日で20年を迎えた。

明石市は21日、事故現場近くの大蔵海岸で、入庁1年目の職員47人を対象に事故の教訓を伝える研修会を開いた。明石市では、事故発生後に採用された職員が全体の半数を超えており、いかに風化を防ぐかが課題となっている。
研修会では、事故で当時2歳の次男・智仁ちゃんを亡くした下村誠治さん(64)が講師を務めた。

下村さんは「次男が生きていれば23歳。時の流れを感じる。この事故を知らない人も増えてきた。どうしても記憶の風化は防げないのかも知れない。しかし、風化させてはいけないものは『安心・安全』。
この事故だけじゃない。震災はじめ多くの災害でも、コロナ対策にも通じることだと思う。21年前、この歩道橋で1メートル四方に15人が押し込められた状態になった。その状態で1時間も動けないまま。こんなこと、今からやってみてごらんと言われても到底できない」と話した。


下村さんはさらに続ける。「当日の警備体制は、警察、警備会社、明石市の職員、それぞれが連携せずに、『そのうち、誰かがするだろう』と放置され続けてきた。これはその後の調査で明らかになった」と振り返る。
そして(7月8日に奈良市で起きた)安倍元首相の銃撃事件に触れ、「銃撃直後、犯人の男は当然のごとく多くのSPに押さえ込まれていたが、2発目の銃撃の前に、肝心の安倍元首相を直接ガードするSPはいなかった。
なぜSPが盾にならなかったのか、他に犯人はいないのか…市民が巻き込まれていたかも知れないという危惧もあった」と話す。
足掛け15年にわたる刑事裁判に臨み、事故発生のメカニズムを踏まえ、当日の警備体制のあり方を追及し続けてきたからこそ発せられる言葉ともいえる。

真剣な眼差しで聞き入る若手職員を前に、下村さんは「雑踏の中で抱きかかえていた息子を自分の腕で絞め殺す形になってしまった。ここ(歩道橋)を訪れると、あの時の悲鳴が聞こえ、体が熱くなり、息苦しくなる。
遺族や被害者は同じ思いをしている。まさか自分がこんな事故に巻き込まれるなんて、これは皆さんが思うこと。さまざまな事件・事故は自分で防げないこともある。台風などが来たら(イベントを)中止する勇気、判断も必要だ」と語りかけた。

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