(ヽ°ん°)「カレーお裾分けすんな死ね!!」J( ;ー;)し「ごめんね、ごめんね」その後本当に自殺、追い込んだケンモメンを逮捕 [963243619]
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今年8月、石川県加賀市の自宅で母親に「はよ死ねや」と迫ったとして、自殺教唆などの罪に問われた54歳の男の初公判が開かれ、男は起訴された内容を認めました。検察側は懲役3年を求刑しました。
この裁判は今年8月、加賀市塩屋町の自宅で当時78歳の母親を殴った後、包丁を差し出し、「はよ死ねや」と迫ったとして、東谷直人被告(54)が自殺教唆と暴行の罪に問われているものです。母親はその後、納屋で首を吊り死亡しました。
金沢地裁で25日に開かれた初公判で、東谷被告は起訴内容を認めました。自殺を迫った経緯について、東谷被告は「楽しみにしていた手作りカレーを、母親が隣人にあげたことが許せなかった」と話し、「母親には長生きしてほしかった。酒を飲みすぎてしまった自分の行動がダメだった」と振り返りました。
検察側は懲役3年を求刑した一方、弁護側は執行猶予を求めました。裁判は即日結審し、判決は来月5日に言い渡されます。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/mro/214173?display=1
言うほどカレーをお裾分けしたらあかんか? やめてくれ...
今日はブラックフライデーなんだから爆乳ルネッサンスとかそういうスレでいいんだよ 働いてさえいたらカレーなんか気にしなかったろうに
かーちゃんも長生きできてたろう
可哀想に 殺人まで起きるなんてどんなカレーだよ
食ってみたいわ 強いて言うなら犯人も親も年取ってたことが救い
犯人が20歳とかじゃなくてよかった
(ヽ°ん°)「カレーお裾分けすんなよ!!なんでカレーお裾分けすんだよ!死ねよ!自殺しろよ!クソが!!」
J( ;ー;)し「カーチャンバカでごめんね、ごめんね」
↓
自殺
こういう感じだな
Aは両親と3人暮らしをしていたが、1995年(平成7年)に父親が死亡し、そのころから母親に認知症の症状が出始めた[1]。
Aは、母親と2人暮らしを始め、介護をしながら工場で働いていた[1][2]。2005年(平成17年)4月頃から母親の症状が悪化して昼夜逆転生活となり、ほとんど徹夜で仕事に向かったり、徘徊して警察に保護された母親を迎えに行ったりすることもしばしばあった[1][2]。デイケアを利用したが介護の負担は軽減せず、7月に休職、9月に会社を退職した[1][2]。Aは介護を両立できる仕事を探したが見つからず、生活保護の相談に福祉事務所に3回訪ねるも、失業給付を理由に生活保護の申請が認められなかった[2]。仕事が見つからないまま12月に失業給付が打ち切られ、カードローンの借り出しも限度額に達し、翌月の家賃を払える見込みがなくなった2006年(平成18年)1月31日にアパートを引き払い、心中を決意した[1]。
Aは最後の親孝行にとその日の夜から車椅子の母親を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、家に帰りたがった母親に「もう生きられへんのやで。ここで終わりやで。」と言うと、母親は「そうか、あかんか。一緒やで。」と答えた[1][3]。Aが「すまんな、すまんな。」と謝ると、母親は「こっち来い、わしの子や。わしがやったる。」と言った[1][3]。この言葉を聞いて、Aは殺害を決意した[1]。Aは母親の首を絞めて殺害し、自分も包丁で首を切って自殺を図ったが一命を取り留めた[4]。2月2日、Aは殺人の容疑で逮捕され、「介護に疲れ、母親を殺して自分も死のうと思ったが、死にきれなかった。」と供述した[4]。
4月19日に初公判が京都地方裁判所であり、Aは公訴事実を認め、検察側はAが追いつめられていく過程を詳述し、殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい。」という供述を紹介した[1]。6月21日の公判では、被告人質問で心中を図るまでの経緯を涙を浮かべながら語り、「母の後を追って死のうとしたができなかった。今は母のためにも86歳をこえるまで生きたい。」と述べた[5][6][注釈 1]。7月5日の論告求刑公判において、検察側は「同情の余地はあるが、尊い命を奪うことは許されない。」として懲役3年を求刑し、弁護側は「法的に批判できても道義的に批判できない、やむにやまれぬ究極の選択だった。」として執行猶予付きの判決を求めた[7]。Aは、最終陳述で「私の手は母を殺めるための手であったのか。みじめで悲しすぎる。」「生きるのは本当につらいが、今は母の年までは生きて冥福を祈り続けたい。」などと述べた[8]。
7月21日、京都地方裁判所での判決公判において、裁判官は「母親の同意を得たとは言え、尊い命を奪った刑事責任は軽視できない。」とした上で、それまでの経緯や献身的に介護をしていたことなどを酌量し、「母親は、恨みなどを抱かず、厳罰も望んでいないと推察される。自力で更生し、母親の冥福を祈らせることが相当」と述べ、Aに懲役2年6ヶ月、執行猶予3年を言い渡した[9][10]。また、「自分を殺めることはしないようにして、お母さんのためにも幸せに生きてください。」と諭し、「裁かれているのは日本の介護制度や行政であり、とりわけ生活保護の相談窓口の対応が問われていると言っても過言ではない。」と指摘した[10][11]。
Aは裁判の後、滋賀県に転居し1人暮らしを始め、木材加工会社で働いていたが、2013年(平成25年)に会社をクビになったと親族に伝えたきり音信不通となった[3][12]。親族が警察に行方不明者届を出したが、2014年(平成26年)8月1日に遺体で見つかった[12][注釈 2] 社会が中高年に厳しいんや
自己責任社会は弱者を追い詰める ネットに疎いババア世代は
承認欲求を唯一の満たせる手段がご近所へのおすそ分けだからな
「おすそ分けするな」はお前らに「5ch止めろ」って言うくらい無理難題なんだよ (ヽ゜ん゜)!? J( 'ー`)し🍲
(ヽ゜ん゜)🔪「何でおすそ分けするんだ死ねや」
J( 'ー`)し「・・・・・」 >>9
>>署によると、容疑者と母親の2人暮らし。16日朝、「母親が首をつったので休みたい」と同僚に連絡。不審に思った同僚が署に通報した。
すぐ無職だって思う人って なんかかーちゃんに言いたいことあるんだけど自殺しそうで言えねえな 自殺教唆ではないと思う
54歳の息子にこんなこと言われて自分の人生が虚しくなって自殺したという話だと思うよ カーチャンのカレーが食いたくなってきた
俺のカーチャンはもういないが… >>16
何歳でも良くないぞ
こういうのは当事者が言うもんや
ワイは78やから君ら若い人は生きててやっていうのは他人が決めるもんやない
お客様は神様っていうのは客やなくて店側がいうものというのと一緒や 54でママカレー食ってるこどおじ
いやそれだけならともかく酒飲んでカレーが足りないと発狂して母親殴って死ねと迫るとか これ自殺教唆にするとニートや障害者や犯罪者の子を持つ親が自殺したら
死ねという発言の有無に関係なく自殺教唆にしなきゃダメだと思う
死ねと言われたから死んだわけではないんだから こんな息子でも母親は愛していただろうに
絶望したんだろうな ここまで必死にあれこれと悩みながらそれでも子供のためにと思ってきた母親の気持ちを想うとこどおじの存在自体もう許せなくなるレベルだな
お前らいい加減親元離れろよ
フリーターでも生活保護でもいいから親元離れろって どうしようもねえ愚昧ババアだな
55年前に自殺しとけば誰にも迷惑かけずに済んだのにな 求刑懲役3年て執行猶予つけてねって検察も言ってるようなもんだな >>57
この年齢だとそろそろ親の介護が必要になる 78になって54のケンモ息子に︹カレーお裾分けすんな自殺しろ!」
とかイキられたらそりゃ死にたくもなるわ そんな息子を産み育てたのはババア自身やんけ
自分の愚かさに気づくのが遅すぎただけ
安倍晋三と同じで自業自得自己責任だろ 何が長生きして欲しかっただよ
お前が一番寿命削ってんじゃねぇか
どこまでいっても自分のことしか考えていないマジモンのゴミ
このバカ頭おかしいのか酒のせいにすんな
ゴミ親ならまだしも優しい母ちゃんを自殺に追いこむて こどおじって親の介護がって言うけど介護されてるクズじゃん終いには親を追い詰めるとか.. >>18
なくなったんだ
救いなさすぎるわ
せめて不起訴にできんかったんかね こどおじらしい事件だなw
これでクリスマスはママと過ごせなくなりました~ 昭和ならこういう自分の気持ちにしか目に行かないような女にモテない男も結婚して被害に遭う奥さんが生まれてたんだから自由恋愛の社会になって女が拒絶できる社会になって良かったよなあ
大好きだから楽しみやったのにあ…また作ってくれや!
これで終わる話しをこいつは 楽しみにしていたカレーをお裾分けされたのが許せなかった
母親には長生きして欲しかった >>7
言うほどキチガイか?
おれたちもそのうちこうなるだろ 虚構かと思ったらマジだった
カーチャンの手作りカレー😭 私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。 >>18
続報知らんかったが死んじゃったのかよ
過労と介護と母殺しと自殺で心身ともにはち切れて飛んだだろうし
もうまともな仕事は無理だったんだろうな
過去の因縁あるからか最期まで生活保護使わずに死ぬ道選んでしまったか
というかずっと死にたかったのかもな まあそんなモンスターを産んでしまったのも自分やからね 手作りって自分で作ったカレーだよな?
母ちゃんが作ったのじゃないよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています