【急募】豊臣秀頼「どうにかして徳川幕府に潰されない方法🥺」 [616817505]
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核実験
ロケット発射
的なもの
当時だとなんだろうな
秀吉は武家の棟梁である征夷大将軍じゃなく関白だったので豊臣は公家に逃げる道はあった
おとなしく淀を江戸城に引き渡して大和郡山城に移ればよかったんだよアホ
いちいち徳川に逆らうからあんな悲惨なことになった
家康の意向通りに一大名化しとけば大坂冬の陣が起きずに江戸末期まで続いてたよ
秀吉が有無を言わさず家康を誅殺しとけば良かった話
秀次粛清なんてやってる場合じゃなかった
こーいうスレは史実と講談とゲームアニメ漫画小説が混ぜ混ぜになるからわけわからん
空手形でもいいから、徳川滅ぼして功あったものには関八州のどこかやるって言えばよかった
石田は「太閤様の御恩に報いろ」しか言わんかった
臣従して大名になった場合、千姫との縁で後の尾張紀州並の一門格位の扱いにはなったろうな
強化版前田家みたいな感じ
関ヶ原のときに石田三成の要請に応えて出陣してたら西軍圧勝してただろ
鐘銘事件が全ての元凶なんだから、とりあえず「家康最高!」みたいな旗でも掲げてたらご機嫌とれただろ
徳川と縁組しまくってるわけだし別に潰されないよな
北条と足利の関係みたいにズブズブにしとけばそのうちワンチャンあっただろ
>>17 鐘が無くても他のことで難癖つけてくるのは明らかでしょ
絶対潰したかったんだから
@関ヶ原前
家康を謀反人として扱う、自ら関ヶ原の戦いに出陣するなど豊臣政権として明白に反家康を掲げる
ただし、徳川は潰せても将来的に毛利幕府に潰される可能性あり
A大坂の陣前
公家として武家の管理は完全に徳川に任せる
あるいは1大名に格落ちする、どこへの転封でも受け入れる
B大坂の陣後
身一つで仏門に入る
織田信雄の言うことをちゃんと聞いて
片桐且元をぶち殺そうとしたり追い出したりするのを止める
なんで秀吉は家康を関東方面に送っちゃったんだ?そりゃ力を蓄えられるでしょう?
よーし、関東はお前らにくれてやるっ!
↓
さっすがー秀頼様は話がわかる!
朝鮮征伐に失敗した時点で大名は豊臣から離れていく
死ぬ前に一番力を持っていた家康を殺しておくべきだった
>>23 後北条氏の領土を治められるほどの武家が他にない
そもそも直接対決で負けてるので降格処分もできない
江戸なんて沼地をあんなに開発できるとは思わなかった
こういう色んな事情
ひたすら家康に平伏すれば一大名として存続するのはそんなに難しくなかったろ
大阪は場所がよすぎるから転封はされるだろうけどそんなに僻地にもやれんだろうし
>>27 ただ、1大名に落ちるぐらいなら公家としてやっていった方が面白そうな気はする
>>23 伊達とか北条とかもっとやべーやつら居たから化け物に化け物ぶつける理論で抑えにした
戦うなら畿内や西国の大名に挨拶回りしてれば何とかなったろ
戦わないなら家康に従属して四国あたりに引きこもってれば断絶まではしなかったろ
物心ついた時には関ヶ原で負けてるしな
家康に平伏するしかないんじゃね
家康の静粛からは逃げ切れても
どのみち秀忠に潰されたよ
大阪冬の陣で講和せず粘ってればワンチャンあったかもしれんぞ
千姫との間に子を作っておけばかなり違ったものを…
淀殿がそれを阻止したって話もあるが
>>33 反徳川の旗頭になりうる家だし絶対許さんと思うわ
>>23 どうせ超民生家の北条の後で誰が統治しても一揆起こりまくりで、まともに統治なんか出来ないと思っていた
失敗すれば改易して、失敗しなくも沼地とド田舎の関東で破綻するのが目に見えていた
のが秀吉の時代の常識だった
国家安康 君臣豊楽
ジャップらしいクズっぷり(´・ω・`)
大阪城捨てて江戸に行く
孫ぐらいで改易喰らうだろうけど血は残っただろう
福島正則の消極的な立ち振る舞いから察するに豊臣恩顧の大名たちの間でもこいつ絶対秀吉の子じゃないなっていう空気あったんじゃないかな
秀吉もなんでいちゃもんつけて徳川滅ぼさなかったんだろな
せめて10万石ぐらいに力削いでおけば…
>>43 そりゃいままでロクに子が出来なかった秀吉に、高齢でいきなり元気な子が出来るなんて当時の医学知識からしてもおかしいだろうしな
大人しく従って浪人共を追放して大阪から出ていけば1大名として過ごしていけただろうに
時勢が読めないボンボンだった
>>37 千姫と秀頼の間に子ができてれば
徳川に恭順してた前提なら秀頼は早々に隠居させられるとしても
例えばその子まで抹殺するのは徳川にとってもなかなか難しいと思うぞ
まあ、後々性が豊臣から松平に変わってるかもしれんが
それでも、本当に秀吉の血筋かどうかは別にしても秀吉の系譜は残った事になったのに
>>23 250年以上ぐだぐだな政治体制
後北条への成功体験による関東軽視
何年か前の鬼怒川のように川がよく氾濫して湿地と沼だらけ
あと将来の火種のために公方家(喜連川家)は残している
淀君を江戸へ
官職全て辞任
豊臣姓返上羽柴へ戻す
大阪城を破却
65万石の領地返上
家来の召し放ち
駿府と江戸へ挨拶に出向く
ここまで殺れば10万石、国持格式での存続を許されたはず
秀忠将軍就任時点で挨拶に行ってりゃ
大坂を失わずに許されたよな
>>46 秀吉が天下を取った段階ではまだ本当に国が治まっていなかったんだろうね
徳川だって大名の領地を好き勝手に取り上げたり鞍替えしたり出来るようになったのは秀忠、家光の時代になってから
信長の嫡孫 織田秀信に秀吉が与えたのはたったの12万石
こうしてみると秀頼は秀吉の被害者だな
秀吉が末期にアホばかりやって人望無くしたせいで徳川につきまくったわけだから
すぐに家康くんの寿命が尽きるから時間稼ぎすればいい
>>15 官位からすると将軍と同格くらいの凄い家だな
小牧長久手の戦いのときからの因縁だからどうしようもないよな
朝日姫が死なないように頑張ってもらうしかない
>>46 家康の一番凄いとこはそこやろな
海千山千で更に疑心暗鬼の塊のようになっていた晩年の秀吉に本心を悟られず騙し通せた
>>55 そもそも家康の正室は秀吉の妹だから
家康と秀吉は義兄弟なわけだしねえ
あと、小牧長久手の戦いは徳川にとってもやっておいて良かった戦いだと思う
秀吉にとっても徳川を潰すのは簡単ではないって思わされた戦いだし
>>59 徳川家としては潰すしかないな
統治に支障をきたす
>>23 江戸なんて当時は湿地ばかりのクソ田舎だったし、滅びたばかりの北条の領地を治めるのも大変だし
まあ、言ってみれば家康の手腕を舐めてたんだじゃね?
いろいろ要求はあったけど呑んでも最終的には潰されそうだけどな
秀頼は誰の子なの?母ちゃんがお茶々なのは間違いなんでしょ?
>>15 >>59 流石にそこまでにはならないわな
秀頼の死後に千姫が嫁いだ本多忠刻だってそこまでの家格じゃないし
将軍の娘を正室に迎えた大名家なんてそれこそ山のようにいるが
受け入れに莫大な金がかかるわりに家が大繁栄するわけでもないし
戦経験も無いボンボンの秀頼と歴戦の家康じゃ勝負にならないんだから従ってれば潰されることはなかった
織田有楽斎を見習えよ
>>51,71
マジか
政略結婚なんてするもんじゃねえな
俺が秀吉だったら見舞いに来た家康を自分もろとも殺させるかな
単純な暗殺だと荒れるから家康は秀吉をかばって死んだことにする
そして当の自分も死ぬことで豊臣家への批判をかわす
>>25 日本において大陸に進出した政権と、寺社勢力を敵に回した政権は必ず潰れる
豊臣政権はその両方をやった(奈良京都の寺社からかなりの税を取ろうとしたらしい)
そりゃ、つぶれる
普通に潰されんやろ淀まんこが馬鹿やから潰される
びっくりするほど豊臣信者家臣が多いのに
信者がいるからやろ
そもそも秀頼は天下人だったんだから何があろうと潰される
>>79 秀次殺す前ならそれもアリだったろうな
ただし、秀次政権が恒久化して、最終的に秀頼は暗殺されるとかそういう末路だろうな
黒田官兵衛とかおるやん?
福岡の筑前藩主長政が徳川家康の家臣になった時大分の城で隠居してた官兵衛は呆れたらしい
アイツ馬鹿やなって
関ヶ原とかギリギリでドイツ法学者は西軍が勝つ陣形と言っている
何やっても難癖つけられて潰されるからな
国外逃亡しか道は無い
>>23 秀吉以前は近畿地方で覇権を得るだけで「天下人」と呼ばれたのを知らないのかな?
秀吉は統一政権を維持する気はない
地方に反乱の芽が残ろうと、近畿周辺に強敵がいなくなることの方が重要だった
家康以外にも毛利、織田、上杉、島津も同様に
「近畿から遠ざける政策」を受けた・受けようとしたので
秀吉の一貫した政策みたいだな
逆に難癖つけて潰せばええのに
バカは受け身だから負けるんだよ
>>85 メッケルが「西軍の勝ち」って言ったのはデマらしいけどな
前田や毛利、上杉が豊臣に付いてるのに
石田三成は大局が読めてない
徳川をこそ叱責するべきやろ
朝鮮攻めするより国力をあげることに費やすべきだったけど脳みそ筋肉だったんだろうな
加藤清正や福島正則が東軍な時点で結構終わってるけどアイツら小姓やしな
結局石田三成に明智光秀に似たプライドを感じる
片桐且元って優秀なのに秀吉はこの人の使い方完全に間違えただろ
結局福島正則は広島で加藤清正は熊本で領地安堵されたのに徳川に滅亡させられている
関ヶ原後でも挽回可能、秀忠が遅参したせいで家康自体は活躍してないからな
西軍の豊臣恩顧の大名の知行が東軍の豊臣恩顧の大名に横移動しただけ豊臣恩顧の勢力は依然として絶大
加藤福島とかの大名を一人一人豊臣家に再臣従させて調略していくしかない
つまり何を言ってるのかというと
豊臣秀吉は農村出身で徳川家康は三河の武将ってことやね
カムイ伝では徳川家康は○多といつているがw
関ケ原から大坂の陣まで優に10年以上開いてる
家康は猶予期間を十分与えてる
秀吉のミスだよな
なんとしてでも粛清しとくべきだった
>>94 あの時点から天下分け目まで持っていけたのは普通に石田は読めてたやろ
そいつら自体にやる気が無かったけど徳川方もそんなに一枚岩ではなかった
勝ったとしても徳川は滅ぼせなかったろうし仮に滅ぼせてもそいつらが徳川に変わるだけで
秀吉が全力出してもやれなかったと思われる徳川…時代よりもかなりな弱体化(当然秀吉はそれをしてたわけで)
これをなんとか勝てた徳川が秀頼を放っておくわけがない
実際大坂の陣も疑心暗鬼の爺ぃの戦い方だったし
関ヶ原の段階で秀頼って数え年で8歳くらいじゃなかったか?
秀吉死んだ時点で詰んでんじゃね
>>89 清盛の例もあるし畿内に本拠地置きながらライバルを東に放つとか下策もいいとこなのにな
まあ徳川も関東を本拠地にしながらライバルを西に放ったから同種のミスを犯してるんだけど
>>111 後継者候補を粛清しまくったツケだな
ガチに晩年の秀吉はダメダメ
>>15 難癖つけて改易で小大名転落だろう
ただ官位だけ高い高家の大名版
>>108 秀吉の時点で関が原をやっておくべきだったよな
あの時代なら秀長 利家も生きてるし清正 福島 小早川は裏切らない感じするし
>>47 秀吉自身はどう思ってたん?
「こいつ全然俺に似てねえな」とか思わなかったんかね?
>>115 実際に東軍についた豊臣恩顧の大名って結局潰されてるんだよな
まぁお家騒動も原因だけど
>>116 そんな暇なかったというか
すぐに朝鮮行ってしまったしね
どうせなら家康総大将で現地いかせりゃ話変わってきたろうに
>>111 後ろ盾がいないんだよな
秀長と利家が死んだのが豊臣家にとって本当に痛い
いや、秀吉は徳川には負けてないんだけどなw
死んだ後の話とか秀吉にはどうにもならない
>>118 福島は舐めきった態度取ってたししゃーない
最上も割と自業自得
加藤はアレだな 他にいたっけ?
>>119 関東転封したばかりでそりゃ無理だろ
あんまり露骨すぎる虐めしたら他の大名も「次は俺かも」と疑心暗鬼になる
>>123 関ヶ原で勝利の要因になった小早川秀秋
改易された
公家か配下の一大名なれば助けたるって言われてたからそうするべきだった
かつて三法師が辿った道
>>112 ミスというか、「じゃあもう一度大戦やりますか?」と言われた時にそれはきついってのが本音だろう
成功しても財政難、失敗すれば権威失墜
何したところで潰す気しかなかったから仏門ワンチャン
まあそれでも潰されただろうが
三成憎しで分裂した豊臣家臣団がアホすぎた
あいつらが一枚岩なら家康もつけ入る隙無かったのに
まぁ秀吉が有力な世継ぎを早期にたてられなかった時点で詰んでたな
>>129 正直公家になってればお家は存続出来たろうな
秀頼自身はぼんくらではないようだし
徳川家から嫁ももらってた
徳川だって自家の利益と繁栄が最優先だし毛利や上杉ら他の大諸侯も同じ
関ヶ原で例え西軍が勝とうが豊臣家が秀吉の頃のような天下人になる可能性はゼロ
むしろ西軍勝ってたらもとの戦国に戻る公算の方が強い
>>125 家康も同じミスをしてるけど家康と同じ石高で信頼できる人をお目付け役で関東に置くべきだったね
家康も中国か九州に御三家を置いて御四家にしておくとよかったな
結局徳川も関ヶ原で煮え湯飲ませた毛利島津にやられるし因果は巡る
260年という世界史レベルでも有数の長期政権築いてんだから豊臣政権などとは雲泥の差よ
日本史上で最も成功した政権だぞ?
徳川は豊臣のような無様な最期ではなくむしろ自ら身を引くことで欧州の侵略から日本を守った説もある
家もしっかり残ってるしな
国内外に迷惑ばかりかけて自滅した豊臣や薩長政権などとは比べものにならん
8歳だかで関ヶ原あって事実上徳川の天下が決まったのにボンクラは少しかわいそう
>>140 まあ、ただ
長州や薩摩と違って徳川にはご恩があると藩主が倒幕には消極的だった土佐藩の例もあるから
薩摩と長州が倒幕の筆頭だったのは関ヶ原からの因縁が全くないとは個人的には思わないなあ
秀吉が家康を朝鮮出兵行かせなかったのは朝鮮出兵が成功する気満々で家康を残すことによって徳川が領土増える事を抑制して相対的に徳川の力を削ぐ事が目的だったと思う
ただ結果として朝鮮出兵が失敗に終わって参加した大名が疲弊して徳川の力が増したのが皮肉だったが
肉の油がスープ、汁を美味しい物に変えている事に気づいてすき焼きの美味しさがわかる
https://i.imgur.com/8t8Rl8n.jpg 公家になるか幕臣の高家として捨扶持食むくらいしかないだろ
>>136 そいつらが談合すると手がつけられない
関東は今では想像できないくらい僻地と思われてたから
どうだろう?
一応東海道には池田や山内、福島を配置
隣に浅野幸長
上杉佐竹堀もちょっと離れた場所だが
駆けつけられる距離
問題はそいつらほとんど寝返り
>>142 そんなこといったら水戸藩が尊皇攘夷やるってどういうことなんだよw
いや、まあ、水戸藩は水戸藩だしなあ、、、、そういうものかも
まあ、キチガイの水戸と長州はほっといて・・・
そもそも斉彬も久光も倒幕目指してないだろ
家臣団の暴走に引っ張られただけ
>>72 Wikiみたら茶々とまんざらでもない文献がちらほら残ってるみたいだったw
秀頼が京都で家康に会って、2mの巨体を見て家康がこいつを潰さなければ徳川家ピンチと思って豊臣を潰した
淀一派を放逐
家臣も大多数を解き放ち
大和郡山でも大きすぎるんで
伊賀あたりに少し所領もらって
京都で暮して公家として生きますよー
ってやれば完全に潰されることはなかった
秀頼が安倍晋三化して
徳川に仕えるも内側から土台を腐らせていく
朝鮮の宗教を持ち込んで
茶器や壺を高額販売して
城や版籍を乗っ取り
大人しくしてりゃ豊臣政権の織田くらいの扱いにはされてたろうな
家康の孫と結婚してるしそれなりに敬意払われてる
>>155 あと豊臣の姓と関白の官位を朝廷に返上だな
新たに伊賀守とか貰えばいい
右大臣なんぞもらってきたやつがアホ
豊臣家の朝廷窓口は誰なんだ
秀頼のおかんに好き勝手やらした結果がこれ
挙句の果てにお堀まで埋められて
ほんとアホだった
秀吉って自分のこと戦略の天才のように思ってるふしがあるけど結果見ると結構アホだよな
黒田の才能にずっと嫉妬してて天下がほぼ決まってから全てを自分の手柄にすべく外したら見事に采配間違った感じ
関ヶ原において調略武力両面で決定的働きをしたのが黒田という現実
最も重用庇護すべき家だったのに
公家になって武家を支えます!とアピール おかんは出家してもらう
>>159 ぶっちゃけ、さっさと徳川に恭順してりゃ家は残ったわな
秀頼の嫁は家康の実の孫娘、母親は二代将軍の正室の実の姉だから徳川秀忠にとっては甥っ子にあたる
徳川の代が変わったとしても三代将軍の家光になれば、秀頼は母方の従兄弟であり、姉の旦那だから義理の兄にあたる存在にもなる
徳川とはしっかり関係性も深い
普通なら潰されるはずがない関係性であって
そういう意味では秀吉も秀頼の行く末に徳川が敵にならないようちゃんと手当てしてるわな
淀殿の江戸への人質だって、少し後には参勤交代で当たり前になる事だし
江戸では妹である江ともちょくちょく会えただろうから老後も平穏に暮らせただろうに
太閤の栄光にとりつかれた変なプライドさえなければ豊臣はちゃんと残れたはず
>>23 未開の名ばかり大領地で嫌がらせだったんだよ
>>117 思っただろうが茶々の子であることは間違いないわけで、老い先短い自分の跡を託すには種違いでもいいやって心情になったのかな
それと秀吉は源氏物語は読んでたんだっけ?
読んでたなら桐壺帝や光源氏の宿命に自分をなぞらえてたのかも
>>112 そんな当時的にも数百年前のことなど参考にはせんだろう
直近のケースを考えれば将軍と鎌倉公方・古河公方など
近畿政権と関東政権が両立していた期間が長かったわけで
秀吉がそれを参考にしてもおかしくはない
秀吉の九州攻めや小田原攻めが兵糧切れで厳しかったように
当時は遠隔地に大軍を派遣して兵站を維持するのは難しいらしい
大阪の陣後でも徳川が反抗心旺盛な島津・伊達を潰せなかったんだから
当時の軍事上の限界といった所
>>132 織田信長の前で蹴鞠を披露したエピソード好き
無能武将の印象しか無かったが、相当に肝が座った人なんだなと思ったわ
大坂城落城一歩手前で命乞いの使者家康に出したのは淀だろ
秀頼は淀の被害者
もう少し自立してたら死なずに済んだものを
官職返上して母親を江戸に人質に出して木下姓に戻して奥州棚倉5万石に転封を申し出れば助かった
こいつら自身が織田家から権力簒奪したのになんで
豊臣だけ家康が悪ものみたいにいうやついるの?
大阪人のステマだろこれ
国替えの要求飲んでれば命だけは助かったかもな
ただ加藤清正や福島正則の跡目の始末見る限り
難癖つけられて改易コースは不可避だろう
>>182 千姫との間に子供ができてればそれもなかったと思うよ
秀頼の庶子である国松は大阪の陣の後に処刑されたが
じゃあ、仮に千姫が秀頼の子を、跡継ぎの男子を産んでたとしたら
その子が処刑されたとも思えんし
処刑されるだろ、そのな頼朝ポジの男子を家康が放置しておくわけない
まあ金が尽きてたから滅亡望んだかたちにしたのかも知れない
徳川が持ち帰った話もなかったよな
>>185 頼朝ポジとは違うわな
そもそも、秀頼が恭順した前提の話なんだから
秀吉を家康が討ったわけでも秀頼を討ったわけでもない以上は徳川は秀頼の子の仇でもないわけで
関係性も家康にとっては曾孫、二代の秀忠にとっては孫、三代の家光にとっては甥っ子だしね
豊臣っても江戸に置いて旧臣から切り離せば影響もないし
後々には松平の性が与えられるんじゃ?
信長も秀吉も才覚で天下とったのに対して家康の長生きしたから取れましたがあまりにも萎えるから家康が華が無いのはしょうがない
山岡荘八が家康過大評価の持ち上げ小説書いた結果サラリーマンの鑑と言われるやっぱり華が無い
>>192 戦国武将が全国にその3人しかいないのなら、その中で長生きした者が最終的には勝つってのは正しいが
そうではないからねえ
信長も秀吉も家康も
当然、運も才覚もあったからあそこまで行ったんだよ
>>190 恭順したらの話か、夏の陣後の國松と比較してかと思った
そうなったら徳川の血が入っているわけだから普通に羽柴松平家として続いていくだろうな
石高ガシガシ削られて豊臣の氏返上させられるだろうけど
ボンクラではないやろ
いろんな文献で優秀だったと伝えられている
淀殿って秀吉に恨みはらすために死に戻りした人生2周目のなろう女主人公だったんじゃね
>>139 鳥羽伏見で余裕ぶっこいてたら奇襲攻撃受けて惨敗し、挙句の果てに将兵を見捨てて船で江戸まで逃げ帰ったのが無様でないと?
>>182 なんだかんだいって足利、古河公方、今川、織田と
自分以前の権力者は大事にしていたのは徳川なので
改易されたとしても一定程度の身分は保証されたんじゃないかな
これはEASYすぎるだろ
もう少し難易度高い問題の方を頼むわ
上杉憲政がどうにかして関東から北条一族を追い出す方法とか織田に勝つ方法、武田勝頼とか
潰されない、というだけなら大阪城退去でよかったろな。
65万石位の大大名家として残れたよ。
>>206 家康が死んだあと浪人集められて謀反起こされるから
65万石与えるぐらいなら豊臣家皆殺しにするよ
千姫との間にボコボコ子供を作り
嫡男をじいじに人質に出す
>>207 大阪城を明け渡した上に大幅減封なんて道理に合わないしする必要もない。65万石なんて伊達レベルだぞ。
>>207 65万石になるかはわからんが
浪人集めて謀反を起こす気があるなら大阪を退去しないわな
大阪城が難攻不落だって意識があったからこそああやってたわけで
それに、恭順したなら秀頼は徳川にとっては孫娘や娘の夫で親戚なわけで
千姫が再婚した時には化粧料として10万石持って行ったりしたんだから
その旦那が数万石って事はないわな
千姫のアレは結局美男子が一番という真理を後世に伝えるエピソードなのだよ
>>192 黒駒合戦…徳川2000対北条10000で勝利
白山林の戦い…徳川4500対秀吉20000で勝利
関ケ原…東軍50000対西軍80000で勝利
これらで徳川の強さは十分示されたやろ
徳川を弱いと思ってる人は当時はいないのでは
まず、だいたいにおいてあの布陣が江戸時代の劇からだからなあ
拾が産まれたことが秀吉暗君化のトリガーだからそこをなんとかして絶つ
>>216 大阪城で引きこもりしてる場合じゃないよな
旗頭で現場に居るだけでいいのに
>>216 それは無理
まだ秀頼は元服前の7歳だぜ
あと、三成が挙兵する前に淀殿は家康に三成が挙兵しそうだから事態の沈静化を家康に要請する書状を送ってたりもする
だから、家康からすれば豊臣家の為の三成討伐って大義名分も持ってるわけで
あくまでも関ヶ原は豊臣家の家臣同士の権力闘争でしかないから、どっちにも肩入れしないって淀殿の立場は最後まで変わらなかった
家臣同士の喧嘩なのに225万石から65万まで減封された豊臣家間抜けすぎだろw
>>222 蔵入地を管理させてた大名の改易で管理者が別の大名とかに変えられただけだけどな
蔵入地からの収入はそれまで通り豊臣に入ってたって話もあって
それだと実質は変わってない事になる
豊臣名乗ってるうちはなー
淀君もアレだし
まぁ、武家諸法度だの難癖付けて外様どころか普代でもガンガン潰してたしな
>>224 だから豊臣返上して右大臣返上して辺境に数万石じゃないと生き残れない
無理ゲーすぎる
氏政くんが猿に逆転勝利のほうが可能性ある
>>227 氏政はさっさと上洛してたら本領安堵で済んだだろ
ボンボンのプライドが高すぎたな
秀頼にも言えるけど
氏真レベルに自分を殺さないと生き残れない
>>220 足利義詮とか3才で鎌倉攻めの旗頭やっとるぞ
甘えるな!
正室と嫡男を見捨てた家康に温情なんて無いだろ
関ケ原の時に勝てなかった時点で滅亡確定
金はあったからもっと買収して引き抜けばよかった
大砲ももっと買えばよかった
秀吉による秀次粛清がなければ
秀次の娘の婿殿になって
関白を継ぎ天下人になる可能性はワンチャンあった
豊臣関白政権3代目になれたかも
秀次粛清さえなければ
徳川家はただの田舎大名
そのうちお取り潰し
>>221 その書状とは以下のことかな?
三成達を「別心」(裏切り)で「成敗」(処罰する)と淀殿が言ってたような話で
そんな「挙兵」「沈静化」なんて中立的な言動じゃなく、淀殿的に「三成達が悪い」って話だぞ
(徳川方の書状だから、そういうニュアンスが徳川寄りに改変されてるかもだが)
ttp://sengokumap.net/history/1600-2/
7月27日、榊原康政が秋田実季へ情勢を伝える。
「上方において三成と大谷吉継が別心したことについて、大坂より御袋様(淀殿)、三奉行、前田利長などが早々に内府は上洛されるのが尤もと申され、両人成敗のため(関東へ)下った上方衆とともに上洛すると申された。」【譜牒余録】
>>234 そいつは甘いんだなー
「ルイス・フロイス一五九五年年報」の「関白秀次の行状と死と」によると
「関白殿(秀次)は既に二三人の子有りて、
己があとには之にそのモナルキヤ(王国)の家督を譲らむと欲りける」とあり
秀次は自分の子供を豊臣政権3代目にしようとしていた
だからこそ秀吉は秀次の男の子供を皆殺しにする必要があった
(秀次の女の子供は助かった人もいる)
プライド捨ててさっさと徳川に下ってりゃ、最悪でも家が滅亡する事はなかったわな
千姫との間にできた子にさっさと家督を譲らされてたとしても
それでも羽柴か木下になったかはわからんが、秀吉直系とされる家は残った
淀殿が介入して秀頼と千姫の子ができないように画策してたって話もあるが
もしそうなら、そこからもう滅亡への道を進んでた事になる
関ヶ原の後、徳川の権力体制が確立していく頃に、徳川の下に入るくらいなら秀頼ともども自害するとも淀殿は言ったらしいが
結局、淀殿のそのあたりのプライドが豊臣家の滅亡を招いたんだから、自業自得とも言える
家康も朝鮮出兵で送りゃあ良かったんだよ
家康だけ国内でぬくぬく力蓄えてたらそらそーなるよ
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