高畑勲、「なろう」型アニメを憂う

映像の中のヒーローがいかにも英雄然としていれば、観客は自分との距離をはっきり保つことができる。ところが
現在の巧みな作劇術では、一見観客と同程度の凡人に、非凡な力を発揮させ、大活躍して問題を見事に解決したり
何かを達成させる。主人公を身近に感じ、自分と重ね合わせ、作品世界に没入させるためである。主人公は状況も
把握せぬまま果敢に行動しいつの間にか身につけた超能力によって、なぜか成功する。成功するために必要なのは、
的確な状況判断や戦略ではなく、「愛」や「勇気」なのだから。

こういう映像を見ていくら「勇気をもらった」つもりになっても、現実を生きていくためのイメージトレーニング
にはならないことは当然である。それどころか、「成功している素晴らしい自分」というきわめて有害なイメージを
身につける危険性がある。現実に対処する訓練が不足し、肥大した自己イメージと現実の貧弱な自己とのギャップ
にさいなまれ、甘美な映像世界に逃避し、ひきこもる。